コルムの三角形メモ

 下の「無我の経済学」の注記でふれたコルムの三角形についての文献メモ。調べてて気がついたけれども西條辰義氏らの入門テキストはいま品切れみたいですね。

石井安憲、西條辰義、 塩沢修平『入門・ミクロ経済学

 コルムの三角形(エッジワースのダイヤグラムと類似の手法で公共財の私的供給について直観的な説明を可能にしている図。いろんな応用例が可能)の世界で最もわかりやすく入門的なテキスト。コルムの三角形は個人的に好きな理論。

入門・ミクロ経済学

入門・ミクロ経済学

日本語文献で最新かつ非常にわかりやすいのが下の高橋青天さんの論文。勉強になりました。

「公共財を含む資源配分問題の図解」(pdf)


外国語文献としては以下のものが代表でしょうけれどもネットではとれない。

Economies with Public Goods: An Elementary Geometric Exposition
William Thomson

トムソンといえば清野一治さんが訳した以下の本でも有名。

経済論文の書き方―作成・プレゼン・評価

経済論文の書き方―作成・プレゼン・評価

外国語文献の代表では以下のLey論文がネットで全部読める。

On the Private Provision of Public Goods: A Diagrammatic Exposition
Eduardo Ley

原典のコルムの論文は以下で

http://www.ehess.fr/kolm/document.php?id=77

就職脳(準備編)


 今週はまだ講義開始前で、主に就職委員として(自分でも驚くけれども本務校での最長経験者12年目)学生の皆さんに就職ガイダンスをしました。そこで話した「就職脳」の話はいずれまたにして、たぶん不特定多数の学生の皆さんが就職活動実施中ないし検討中でしょう。このブログでも何度かとりあげた就職本リストを以下に。ご参考ください。


・就職用図書リスト
 http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20080201#p5
・こんな「就活本」は買ってはいけない!―時間とお金を無駄にしない賢い本選び
 http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070523#p3
波頭亮『就活の法則 適職探しと会社選びの10カ条』
 http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20071215#p4

釈徹宗『いきなりはじめる仏教生活』


 献本いただく、どうもありがとうございます。あと2週間あまりで次回作を脱稿せねばならぬので読む時間が割けませんが、田中は特になんの宗教にも帰依も支持もしてはいないのですが、なんのめぐり合わせか、それとなく「無我の経済学」を長期的な研究プランとして抱懐しているのです。その意味からいつか参考にさせていただきます。「ポストモダンの仏教入門」とのことですのでご関心のある方はぜひ一読を。内田樹さんとの共著もあり、推薦文も内田さんが書かれていますね。


いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)

無我の経済学読書リスト


 ところで上の釈氏の本に関連してですが、そもそも日本経済思想史と宗教的心情との接点は大きく、僕も研究した三木清この本で検討しました)、河上肇はいうまでもなく、例えばかって早稲田大学の経済学史研究の歴史を何気に勉強してまして、そこで二木保幾という人の空観の経済学というものを知りました。これは龍樹の空観に基づき、相対主義の極限みたいなもので、当時来日して日本の知識階層にえらいインパクトを与えたアインシュタインの相対論を世俗的かつ誤解釈して自らの体系に取り込んだ人でした。アインシュタインが当時の知識人(経済学者含む)に与えた影響については以下の本が詳細です。

アインシュタイン・ショック〈2〉日本の文化と思想への衝撃 (岩波現代文庫)

アインシュタイン・ショック〈2〉日本の文化と思想への衝撃 (岩波現代文庫)


 二木は、当時三木清と論争したり、福田徳三に高評価されるなどしましたが若くして亡くなりました。彼の経済学のベースはゴットルといういまではナチスお抱え経済学者と評されもする人ですが、そのゴットルの初期経済学に影響を受けて後に「近代の超克」路線へと繋がる経済思想系列に属していると思われます。


 さてこのような空観の経済思想の系脈はほとんど死滅同然でしたが、日本とフランスでいきな80年代に甦りました。ひとつは平山朝治氏の『ホモ・エコノミクスの解体』(啓明社)。


ホモ・エコノミクスの解体 (啓明選書 (5))

ホモ・エコノミクスの解体 (啓明選書 (5))

 


 もうひとつは「コルムの三角形」などでも有名なサージ・コルムの業績です*1

LE BONHEUR-LIBERTÉ (BOUDDHISME PROFOND ET MODERNITÉ), Presses Universitaires de France, 1982, several re-editions (last: 1994).

L'HOMME PLURIDIMENSIONNEL (BOUDDHISME, MARXISME, PSYCHANALYSE POUR UNE ÉCONOMIE DE L'ESPRIT), éditions Albin-Michel, 1987.

The Buddhist theory of "no-self", in The multiple self, ed. by Jon Elster, Cambridge University Press, Cambridge, 1986, 233-263.


The Multiple Self (Studies in Rationality and Social Change)

The Multiple Self (Studies in Rationality and Social Change)


 最後の英語論文集に収録されているのは、最初の著作の82年版の最終章の英訳。この論文集には他にもいろいろな人の論説が寄稿されていて、最近、邦訳がでた『誘惑される意志』のジョージ・エインズリーの論説も収録されている。

続く

*1:「コルムの三角形」については、西條辰義ほか『入門ミクロ経済学』に詳細な説明があるので参照のこと

他力本願の経済学、75年以上前も今も変わらず‥‥『漫談経済学』再読


 ネームバリューでは大差をつけられているが、それでも自分のやっている立ち位置(批判的で、諧謔的、そして憎まれっ子的な点)はやはりこの人に近いのかもしれないなあ、と以前から思っている小汀利得(当時中外新報経済部部長)。彼の代表作の一つである『漫談経済学』(1932年)を読んでいて、いまも昔も変わらないなあ、と思う。以下でいう「低物価政策」とはデフレ政策ないしゼロインフレ政策のこと。また文筆業者や学校の先生は不況の下でも名目所得が切り下がらない人たちという認識であることを注意して以下読まれたい。


B「大抵判ったが、同じ生産でもわれわれのような文筆業者や、学校の先生なんて職業と直接物を生産するものとは大変違ふね」
A「そりゃそうさ。そこで近視眼的に物を見ると、われわれのような種類の生産者が低物価の方が利益なようだが、前にもいつたように、国民経済全体が破綻してサラリーマンや労働者だけが栄えることは絶対に無いからね」
B「最後に一言伺いたいが君達(金本位制)再禁止論者と、再禁止反対論者の物価に対する根本的の差はどこにあったんだね」
A「それがまことに滑稽なんだ。反対論者は初めの間は低物価がいいと盛んに宣伝して居たが物価の低落の程度が深過ぎ、その速度があまりに速すぎて面食らったので、途中から必ずしも物価は安くなくともいいといひ出したたね。但し彼らはいずれじつとして待って居れば、外国の物価が高くなるだろうから、それによって日本の景気を直そうというんだ。だから彼らも景気をよくするためには、ある程度まで物価を高くすることの必要は(あわをくったので)認めたようだ。すると唯方法論の差だね。われわれは自力で物価を回復し、景気をよくし、国民経済を立て直せよといふのであるし、反対論者は他力本願で、待ってたら、アメリカあたりが(サブプライム危機を乗り切り)何とかしてくれるであろうといふんだ」
B「すると低物価政策(デフレ政策ないしゼロインフレ政策)はもう完全に破綻したんだね」
A「そうなんだ」

()内は田中の補


 ところで戦前の金本位制再禁止論者(当時でもリフレ、リフレーションという言葉を積極的に用いていたので「リフレ派」といってもいい)にはほとんど専門の経済学者はいなかった(柴田敬、赤松要ら少数)。ほとんどがジャーナリスト、民間エコノミスト、評論家、実業家などであり、彼らはしばしば「経済学者ではなく街角経済学者だ」と反対派(いまでいう清算主義やゾンビ経済論者*1の単純バージョンを信奉する人たち)から中傷・批難されていた。こういう構図は、ネットだけではいまだに特定ブログでたま〜にヒステリックな現象として観察されるのも興味深い。ところでそういうヒステリー現象を逆手にとったのか、営業上手なのか、小汀利得は『街頭経済学』を出版。当時話題をよんだ。面白いことだと思う*2


小汀利得―ぼくは憎まれっ子 (人間の記録)

小汀利得―ぼくは憎まれっ子 (人間の記録)

*1:星先生、カシャプ先生らまっとうなゾンビ経済論者はリフレ政策も支持していることを明記したい

*2:しかし本当に経済思想というよりもどう考えても心理学的な課題かもしれないが、歴史的にそして今日でも反リフレ的な立場の人に属人的資格批判を採用する人が目立っていることである。リフレ派といわれる人にはほとんどそんな人はいないだろう。例えば「評論家」「経済学史家」「マルクス経済学」などなどとその人の属人的資格かなかには資格にさえもなっていない理由で、相手を批難・中傷する人が清算主義・構造改革主義的手法の人物に多いように観察される。これはいずれ実証的に誰かが検討すべき病理的ケースの研究課題だろう