『不謹慎な経済学』ネット内感想集


 いくつか感想を頂戴していますので以下にご紹介。目についた順で上が新しい方になります。以後随時更新予定。みなさんどうもありがとうございます。本人主観的には『ヤバい』とか『まっとう』(こっちは少し意識)とかよりも野口悠紀雄氏の『超整理日記』が書いてるときから念頭にあったのでした。それとshuntasticさんのブログを読んでて、ふと「経済学そのものが不誠実だ(という批判がなされてきたが、それは違う)」というニュアンスで題名を構成すればよかったな、と思いました。mixi規約が変更されて未公開の僕の禁断の日記が公になれば証明できますが(爆)、草稿や初校ゲラまで題名がついていないという僕にしては珍しいケースで、その意味でも過渡的な著作だと思ってます。向かう方向は皆さんからいただいた感想のいくつかから啓発された部分も織り込んでそのうち形にしたいと思います。

 finalventの日記  http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080310/1205109128
 →たぶん次回の経済エッセイではこの論点を一段と深く。
 萌絵的投資日記   http://yahoo.tradeginza.com/blog/moe/ の3月11日の日記
 梶ピエールの備忘録   http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20080307/p1

 山形月報(コメントあり)     http://www.sbcr.jp/bisista/mail/art.asp?newsid=3300

 ECONO斬り!!(感想追記版)    http://blog.livedoor.jp/yagena/archives/50441485.html

 sunday people     http://d.hatena.ne.jp/shuntastic/20080304

 another day 2008    http://anotherday-studio.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_7d23.html

 百おやじの雑文・駄日記 http://nuhyakueco06.blog56.fc2.com/blog-entry-1229.html

 空き箱(mixiはてな版)       http://d.hatena.ne.jp/boxman/20080303
 →関連エントリーここ。将来的な展望Ⅱ

 BUNTENのヘタレ日記 http://d.hatena.ne.jp/BUNTEN/

 小田中直樹[本業以外]ネタ帳(ブログの文章の続きはお葉書でいただいた 笑)http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/20080228

 Irregular Economist(感想追記版) http://d.hatena.ne.jp/Hicksian/20080225#1203955506
 →関連エントリーはここ。将来的な展望。

 極東ブログ     http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/03/post_4093.html

落書きノート    http://blogs.dion.ne.jp/bunzou/archives/6876701.html

 404 Blog Not Found http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51007584.html
 →関連エントリーここここ

 ラスカルの備忘録  http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20080222/1203700654

 日々一考(ver2.0) http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20080221/p1

ユーロスペース殺人事件w


 群馬の大学で勤めてますが東京都在住の田中ですw。渋谷って広いねえ。なんでユーロスペースないんだよ。どこいっちゃったよ、ユーロスペース

 オジサンぼけたの、それとも群馬に居すぎて方向音痴になったの? オジサン、ぐるぐる探しまわったよ。まるで彼女とのデートに遅れちゃいそうな高校生みたいに必死だな藁状態でさ、ユーロスペース

 やがてオジサン、コンビニで情報誌を立ち読みしてようやくホテル街の中に移動していることに気がついたよ、ユーロスペース

 そこにいくまでに思いの他時間がかかったよ、ユーロスペース

 ホテル街の坂道を急いで息をきらしてぜえぜえいってる俺は違う目的できたように、世界中からみられているような自己意識肥大で苦しんだよ、ユーロスペース


 着いたら始まってたよ、ユーロスペース。最初から見ないと嫌な主義のオジサンは、レーニンの禿げちゃびんを見るの断念したよ、ユーロスペース

 坂を下って戻る俺の額も珠の汗でレーニン波平だよ、ユーロスペース

 ああ、ユーロスペースユーロスペース

山崎元MAX!!その2(武藤副総裁の不適任と福井総裁スキャンダル)


 本当に最近の山崎さんのコメントには肯くこと多し。このブログでも大論争に発展した村上ファンド関連での福井総裁辞任せよ問題に関連させて、山崎さんは今日配信されたJMMで以下のようなコメントを出している。


:加えて、武藤氏の場合は、福井俊彦総裁が在任中に運用行為(量的緩和解除の前の
村上ファンドの解約を指します)を行った明らかな内規違反に対して、これを正当に
批判し、福井氏の辞任につなげなかった、コンプライアンス法令遵守)能力の欠如
が欠陥として指摘できるでしょう。福井氏は本来辞任すべきだったし、副総裁を筆頭
とする周囲は、彼の辞任を実現する必要があったはずなのですが、武藤氏は福井総裁
を「支えて」しまいました。武藤氏は財務省事務次官でしたが、たとえば、在任中
に部下がインサイダー取引ないしそれに類する不正を行った場合には、当然その部下
を懲戒免職にしたはずです。相手が上司(自分が副総裁で福井氏が総裁)の立場の場
合に、不正を見過ごし、明確な批判のメッセージを発しなかったという意味では、武
藤氏は、日銀総裁としては「胆力不足」かも知れません。:


 ところで民主党の総裁選出引き伸ばし作戦であるが、これは日銀にとってはきわめて有利な戦略になっていることを見逃すべきではない。まず最近も書いたが今般の経済政策の失敗を日銀ではなく政治の側に移転することに成功しやすい環境になったこと。実際には日本経済の脆弱性は日銀の政策の失敗以外の何者でもないのだが、今後、政争が長期化すればするほど政治の失敗という喧伝が行われるだろう。


 さらに本当に驚いたことだが、武藤氏の次のカードに山口泰氏が控えていたこと。これで事前に噂される副総裁二席がすべて日銀出身だとオール日銀という事態さえも見え隠れする。山口氏の経済的なスタンスについては、私も彼が日銀時代に「金融政策で構造改革をすすめる」という誤った見解を何度も披瀝していたことを重視している。このような具体的な中味を伴わない発言こそ、今般の日本経済の脆弱性をもたらした政策目的のあいまい化を伴った日銀の漂流路線を端的に示すものだと思われる。それにしても日銀の政治巧者ぶりは際立つ。民主党の戦略は民主党自身よりも日銀の組織防衛に大きく力を与えることであろう。


 ここからは正味正真の床屋政談なので読み流してもらいたいが、ところで仮に武藤、山口の二枚のカード以外に選択肢はなし、と出されたらどうなるか? おそらく背後に暗黒波動が匂う 笑 武藤氏の方がわずかにましであろう。なぜなら政策転換の可能性がわずかにあるだろうが、山口氏ではただの政策の失敗を結晶化した意味での利下げやその後の後退戦・持久戦があるだけであろう。そうは思わないか? そしてこの絶望的な二択を考えると、理性が指し示すのは、やはり人物選択ではなく、どんな人物が選ばれるにせよ、彼にまともな政策を採用させる制度的な枠組みが現状でまったくかけていること、そしてそれこそ政治の失敗の最たるものであり、私たちが要求していかなくてはいけないものであることがわかる。伸縮的なインフレ目標もしくは名目成長率目標などもその制度改革の重要な一つであるがすべてではない。

山崎元MAX!!(郵政民営化と政府ファンドSWFに共通する奇怪な発想とぼったくる手)


 最近、本当に妙な流れになっていて、それはまさに見えざる手というよりもぼったくる手と表現していいものである。この政府のぼったくる手をマクロ経済的な見地から批判したのが、『世界』の大瀧雅之論文であったし、ミクロ的には昨日の『読売新聞』での山崎元さんのコメントであった。私は山崎コメントを群馬の蕎麦屋で読みながら、我が意を得たり、と力うどんを食べながらひとり力んだのである(笑)


 私は政府が一国の資金の流れを自らの意図通りに動かそうというイデオロギーを、郵政民営化のときから批判してきた。『経済政策を歴史に学ぶ』の50頁以降やここでも、以下のように書いている。


「 しかし政府は民営化本来の目的(当該組織の非効率性の改善)を追求するというよりも、民営化主体の資産選択行動を政府の意図どおりに、市場化のなかで実効させようという錯乱した方式で行うつもりのようである。民営化はするが、政府の都合どおりに資産運用を行ってほしいというのは、この政権の奇怪な発想を端的に表しているだろう」。この文章の前後も参照されたい。


 この「奇怪な発想」は先の大瀧論文の指摘と同じであり、それを山崎元さんが政府ファンド(SWF)という視点から批判していると私は理解している。以下は山崎ロバブログからの引用であり、全面的に支持したい。まさに山崎元さんの本領発揮!


:日本版国家ファンドに関する、現在の私の大まかな立論は以下の通りです。

(1)国民は国に本来自分達の資産を運用して貰う必要がない。国家ファンドの運用資金があれば国民に返すべきであり(「民間で出来ることは民間で」)、政府のバランスシート圧縮こそが必要だ。

(2)国家ファンドが正当化しうるのは、国家ファンドの形で運用すると民間が運用するよりも運用が上手く行くという確度の高い期待が持てる場合だけだが、実際には、国が国民に対して責任を負って運用するというスキームは、通常の運用よりも不利だ。
 たとえば、運用計画を策定し国民の承認を得なければならない手続き面は運用に不利だし(説明責任や情報管理は完全なクリアが難しい問題だ)、全体の運用計画を誰が作るか(パフォーマンスの太宗は資産配分段階で決まる)、運用者を誰がどうやって選ぶか(マネージャー・ストラクチャーの問題。素人がプロを評価し選択するという「飛躍」が必ず介在する)、という重要問題をどうクリアするかが難しいし、政府の民間への介入を避けることが運用の制約になるし(たとえば議決権を有効に使えない)、そもそも巨額の資金の運用は簡単ではない。

(3)上記にかかわらず国家ファンドを強行しても、運用業者を喜ばせるだけだろう。国家ファンドは大きなカモになる。加えて、不健全な利権の源にもなりかねない。(これは私の推測ですが、現実的な心配だと思います):


 まさにここに表現されているのは、見えざる手ではなく、政府の「ぼったくる手」ではないのか。