偶々、本屋の店頭にあった新刊のムックに目がとまった。事件の前に収録したものを、高橋さんが掲載を辞退したのにもかかわらず?収録したものみたいだ。内容を読むと正直にいって特に目新しい話題はなかった。長谷川幸洋さんとの共著『百年に一度の危機から日本経済を救う会議』や『霞が関をぶっ壊せ』での議論を読んでいればわかる内容かと思う。
例えば佐藤氏は官僚を本当に怒らせた発言が対談の中にあると書いているが、どれも前からの発言ばかりであり、新奇な怒りの元を探し出すことはできなかった。むしろ今回の事件によって高橋さんが沈黙を守ることこそ、高橋さんによって批判されていた勢力にとって思うツボである、と佐藤氏が強調しているところは、僕もはっきり明言するが、本当にそう思う。そう思うだけにいまの状況は残念である。
高橋さんは社会的な処罰をすでに十分すぎるほど受けたと思う。もちろんだからといって前と同じように彼の発言がそのまま社会に受けいられるほど甘くはないだろう。そもそも僕自身も釈然としていないこともある。いや、正直にいっていまだに今回のことを思うと怒りすらおぼえる。しかし高橋さんのいままでの発言を、事件を理由に完全に封殺するということは、僕には知的な意味でできないのも事実である。その意味でこの損失は非常に残念だ。だが残念ばかりもいっていられないので、使えるものは使うのが、いまの僕の立場である。この佐藤本もその立場でああろう。
まあ、そもそもこのブログとか前のブログとかを昔から読んでいる人は、僕が高橋さん((暗黒卿と名づけたのは僕だが、もうこの呼称を使うのはこれが最後である)の意見に百%くみしていないのは周知のことかと思う。それでももったいない、と思う気持ちは否定することができないのである。
例えば、今週の『週刊東洋経済』に産業再生法改正をめぐって橘木俊詔氏が、民営化が予定されている日本政策投資銀行を活用するのは疑問であると指摘があった。当然な疑問である。こういう財務省の性質の悪さと大胆さは、学者風情レベルではうっかり釣りにひっかかってしまう。橘木さんほどの人でも、相手の手札にのってしまい、民営化を予定されている公的銀行が、損失が過大になるだろう資金注入をひきうけるのはおかしい、というまっとうな議論をしてしまう。こういう議論は財務省の予想の範囲内である。では、そういった損失をひきうける新しい組織を作ろう、と言い出すかもしれない(あるいはもっと露骨に存続をかますかもしれない)。
所詮、まっとうに立ち向かってもダメなのである。高橋さんであれば、おそらくこれは財務省の一部勢力による民営化阻止の露骨な動きであることを声高に指摘したはずである。天下り禁止という裏ワザで攻めて攻めまくったかもしれない(おそらく政治ルートとマスコミの合わせ技を使いつつ)。そういうねちっこい責め技を、いま日本の論壇はこういう官僚の露骨な巻き返しに対して欠けてしまっていると思う。お行儀のいい議論しかできないのだ。その損失を誰が埋めるのか、それはまだ全然わからない。だがこの損失を日本の論壇はよくよく意識しておく必要があると思うのだが、みなさんはどう思われるだろうか?
- 作者: 佐藤優
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