う〜ん。自宅からは大丈夫なんだけども、自分の研究室からのgooへの投稿でいくつか機能がだめ(僕の研究室で使っているパソコンが古い=某所で廃棄扱いになったものを転用したもの、だからかな? あまり詳しくないのでよく理由がわからないけれども)。はてなで実現できた快適さがこちら側(研究室のパソコンのなにか。なにかがわからない)の理由で難しい。アンテナとかお気に入りを変えた皆さんには申し訳ないですが、問題を解消するまではてなでやっていき、コメント欄は新ルール(平日、9時から17時原則開業)のまま当分維持してみます。しかし相性がこんなに悪いのは意外。自宅からだと問題ないんですが。すみませんでした。
松尾匡先生、はじめ人間ギャートルズ的計量経済学道完結編
40越えて人力計量経済学で。「こうなりゃ意地だ。ということで、エクセルで計算して、値が収束するまで何回も回帰分析を繰り返す「人力コクレン・オーカット」にチャレンジしたのです。そしたら何回もミスが見つかり、しかも繰り返しの初期でミスったら、繰り返し計算を最初からやり直さなければならないということで、これもまた果てしなく時間がかかりました。そしたらこんなのになりました」。だそうです。
http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_80124.html
しかし松尾さんのゼミの学生さんには非常に勉強になったでしょうね。大竹文雄先生まで参加してたのか。事実上、日本のトップクラスが寄ってたかってひとりの大学生をネットを通じて指導したことになる稀有な例ですね。僕も学生時代こんな経験がしたかったなあ。
反省してますか?
反省しているのは引越しに失敗したことかなあ(苦笑 図表と広告機能が研究室のパソコンだと壊滅なのよ。はてなだと大丈夫なんですが)。
どこかの特定ブログでバーナンキの議会証言の全体を読み取れずに、言葉尻だけ捕まえて、アメリカ経済に財政出動を単純要請するバーナンキは(マンキューらに)批判されて当然と書いているブログを読みました。さらにそのブログでは、金融政策でさんざんバーナンキ持ち上げていたリフレ派は反省しろ、というすごいものでした 笑
ところでバーナンキの議会証言を財政出動マンセーなどと理解するのは感心しませんね。例えばハミルトンはちゃんとバーナンキの真意を汲んでいますね。
http://www.econbrowser.com/archives/2008/01/the_case_agains.html
マンキューのブログでも財政政策を完全否定なんかしているわけもなく、適切な仕組みとそれに適合した経済環境があれば、財政政策と金融政策のパッケージは効果がありますとも。
私もとりあえずリフレ派の端くれですので、拙著『ベンバーナンキ』147-8頁をご覧いただければ、財政政策の適切な仕組みがないと効果が発揮できない場合、そして適切に仕組まれた財政政策と金融政策が(例えば日本経済に)効果があることが、バーナンキの発言とともに書かれていて、今回の議会証言が昔からの彼の考えに基づき、さらに日本のリフレ派はバーナンキのその考えを支持していたので、そんなへんてこな特定ブログのいうような反省の必要はまったくなし。
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むしろバーナンキの議会証言を十分に読みこなす技量もないことを反省したほうが……いや、これ率直に思いますが。ただのかまってくんじゃないのかなあ。
このブログでも最近何度も削除されても粘着してた吉外さんがおられましたが。この吉外さんももなんだかんだ難癖つけて要するにかまってくれることで自分に注目してほしいということかなあ、と。だから相手にせず粛々と削除が最善。
この特定ブログの方をみてみると、自分が注目されればそれでよし、という狙いがあるんじゃないかなあ、バーナンキ批判もなにもそのための手段でしかないのかもなあ、と思う朝でした。
ナシーム・タレブ『まぐれ』(望月衛訳)
望月さんから献本いただく、ありがとうございます。
本書は物事のランダム性がまま投資の世界などで誤解されることを面白く、また既存の経済学への突っ込みを交えながら書かれています。いま第8章まで読んだところですが、これは噂どおりの名作ですね。
- 作者: ナシーム・ニコラス・タレブ,望月衛
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例えばカルロス氏のエピソードは、下手なトレーダーが短期中期では非常に好成績をあげることで生き残りやすくまた実力と評価されるが、それは「まぐれ」=ランダム性にすぎない、という指摘は興味深いですね。
二重の生存バイアス(まぐれの成功の過大評価、最近の成功を保証した成功が未来も続くという信念)が、なんの客観性も持っていないことが何度もエピソードを代えて紹介されています。
この種の二重の生存バイアスの指摘は、本当に重要で、社会保障の基礎である生存権についてもそれを国民に等しく認めるとかえって競争のない社会にしてしまう、という反論があります。そのもっとも強力な主張がマルサス風の自然淘汰仮説です。弱者が淘汰され、強者が生き残るほうが社会にとっていいというイデオロギーですが、これに対する生存権の代表的な見解としては、もし仮にマルサス風の主張が正しいとしても誰が生存に優れているかなどわからない(まぐれを完全に識別するのは不可能)から、最低限の生存を社会の成員に等しく認める方がまぐれの問題を回避できるので望ましい、という見方です。
本書には歴史からの教訓への著者なりの卓見も。
「私は歴史に学ばない人が多すぎると書いた。でも。問題なのは、私たちが最近の短い歴史からあまりに多くのことを汲み取ろうとすることなのだ。たとえば、「こんなことはこれまでまったくなかった」なんで言ったりするけれど、そういうときの「これまで」とは、歴史一般のことではない(ある分野で一度も起きていないことでも、他の分野ではそのうち起きるケースは多い)。つまり、歴史の教えるところでは、これまで起きたことのないことでも起きるときには起きるのだ。歴史を見れば、狭い意味での時系列データからわからないことがたくさんわかる。見るものが幅広ければ幅広いほど、いいことが学べる。言い換えると、なんとなく過去の事実を見るだけの安易な実証主義は避けるべきだと歴史が教えてくれる」(140頁)。
まあ、そうでしょう。例えばですが、この一文が一人歩きして、トンデモな人たちに、リフレ派の歴史研究はまさにこの批判があてはまる、などとネットの戯言を聞かないことを祈ります。タレブ氏がいっているように、歴史研究はそんなに安易な実証なきたわごととは違いますから(言い換えると勝負するなら代替的な歴史解釈を実証的に提出するしかないことになります。トンデモ批判者はそういう作業をしないでしょう)。
本書は投資の問題だけではなく、社会保障などより広い経済問題に適用できる考えのヒントを提供していると思います。