論説「ウクライナ戦争の経済学」in『電気と工事』2022年4月号

連載127回目です。

 

 

 

以下は上記の草稿です。実際に掲載されたものと違う場合があります。

 

ウクライナ戦争の経済学

 2月21日、ロシアのプーチン大統領が、親ロシア武装勢力が力を得ているウクライナ東部をふたつの「共和国」として認め、さらにウクライナの武力の完全な無効を目指すとした。この発言は、事実上のウクライナへの宣戦布告だった。ロシアは「平和維持」を名目にして、ウクライナに軍事進攻した。23日にウクライナ各地の軍事拠点をミサイル攻撃、チェルノブイリ発電所などを制圧していった。米国の情報当局によれば、ロシアの目的は、ウクライナのゼレンスキー現政権を打倒し、ロシアに都合のいい傀儡政権を樹立することだとする。まさに主権国家を蹂躙する蛮行である。
 この記事を書いている段階では、ウクライナでの戦争がどのように今後展開していくのか予想がつかないところが多い。だが、日本の一部の識者やマスコミの多くは、ロシアのウクライナ侵攻の可能性を否定し、また侵略した後も「(ロシア)軍派遣」などと微温的に表現するマスコミもある。これは中国がロシアの軍事行為に「侵攻」表現を避けて、ロシアに理解を示したことと不気味にも似ている。なぜ不気味かというと、多くの内外の政治家や識者が強調しているが、ウクライナの事例は、アジアにおける台湾や尖閣諸島にも影響するからだ。力による現状変更という手段に、中国が理解を示し、その中国と同じことを言う国内の論調が不気味でなくてなんだろうか。
またウクライナが加入を期待していたNATOアメリカ側の責任に転嫁する論調も声が大きい。ロシアのウクライナ侵攻は、ウクライナ側に責任があるとするそのような論調こそ、戦後日本が敗戦の経験をもとにつみあげてきた、「平和国家」の考えに真っ向に背くものだろう。
 ロシアのウクライナ侵攻の報をうけて、さまざまな経済指標が大きく動いた。日本を含む先進国の株式市場は大きく暴落し、また原油天然ガスの価格も大きく上昇した。有事に強いといわれる金価格は最高値を更新し、またドルも強さを発揮しドル高が続いた。資源価格が値を上げたのは、ロシアが天然ガス原油などの資源輸出の大国であるからだ。主要な取引国である欧州各国だけではなく、日本にも大きな影響を与えた。ここでは、ウクライナ戦争の経済的な側面について、現状わかる範囲で議論をまとめたい。
 ポール・ポースト教授(シカゴ大学)の著作『戦争の経済学』(山形浩生訳、バジリコ)が参考になる。ポーストは、大勢の失業者など不況に悩む国が戦争を起こすことで、失業者を軍人として動員し、また軍事支出を増やすことで景気を改善することを狙うと信じられていると指摘する。これは「戦争の景気刺激の鉄則」と呼称される俗説だ。この俗説は、学者の間でも人気だ。例えば、第二次世界大戦で日本でも米国でも、相手国が戦争を起こしたのは、それぞれの国の不況を解消するためだとする主張が流行った。詳細は、拙著『脱GHQ史観の経済学』(PHP新書)を参照してほしい。
 ポーストはこの「戦争の景気刺激の法則」に留保をつけた。彼は戦争の経済を考えるときには、ふたつの点に注意が必要だという。ひとつは、心理的な影響。もうひとつは現実的な影響である。前者は、戦争がもたらす恐怖によって生じるものだ。ウクライナ戦争がどのように展開していくのか、現段階では不確実性が高い。不確実性の高さは人々の消費や投資をかなり抑制してしまう。このことは特に株式市場に強く反映される。すでに書いたように各国の株式市場は大きく下落した。しかしポーストは過去の戦争、経済危機、大規模な災害などで株価が下落しても半年か一年もすると回復すると指摘した。つまり心理的な影響は当初は強くでるが、やがて人々はこの「恐怖」に慣れてしまうのである。直近の事例では、やはり新型コロナ禍がある。
株式市場の経済指標に、恐怖指数というものがある。これは投資家たちのリスクを選ぶ気分を客観的に表そうとしたものだ。株価は、手元におく現金や預貯金、国債などと比べると、収益が高い分、リスクもまた大きい資産だ。投資家が株取引に積極的になるには、つまりリスクをとる気分が強くないといけない。この恐怖指数は、危機では大きく上昇する。すなわち投資家は株取引をやめて、恐怖で現金(ドル)や金などを手元に置きたがる。そうすると恐怖指数が高いと、株式市場はそれだけ大きく崩落する。しかしこの恐怖指数は、2020年初期に新型コロナ危機で、大きく上昇したが、その後は次第に平常に戻っていった。
ここがポイントだが、恐怖指数は半年もすれば元の水準に戻っていったのだが、他方で世界では変異株が繰り返しまん延し、経済的なダメージを重ねていたことだ。つまりコロナ禍という恐怖に市場が慣れてしまったのだ。現段階では、この恐怖指数は世界各国の株式市場で急上昇している。だが、過去の知見の通りだとすれば、このウクライナ戦争の「恐怖」に市場は慣れてしまう可能性がある。例えば、ロシアの株式市場はウクライナ侵攻でやはり暴落した。だが、この影響は限定的かもしれないということだ。言い換えると、株式市場などでロシアが負担するウクライナ戦争のコストは、短期的なものとプーチン政権が計算して、今回のウクライナ戦争を仕掛けた可能性があることだ。またロシアの通貨ルーブルも暴落したが、他方でロシアは膨大な対外準備資産を蓄積している。それらの主要外貨売り、自国通貨の価値を支えることもできるだろう。
現実的な影響は、まさに景気に与える影響だ。新型コロナ禍による世界経済の低迷で、ロシア経済も大きな打撃を受けた。ロシア経済は石油や天然ガスに大きく依存する国家だ。世界経済が冷え込めば、それによって資源需要が低下し、ロシア経済も冷え込む。これを避けるために、ロシアは他の産油国と協調して石油の増産などには慎重だった。これは世界経済が回復傾向を見せ始めても変わらないスタンスだ。このことが日本でもガソリンや灯油などのエネルギー価格の高騰をもたらした。他方で軍事動員は、軍人という雇用を増やし、さまざまな資材を消費することで国内景気に貢献することは確かだ。だが、これらの軍事支出は政府が行う。経済が完全雇用に至ると、それでも軍事支出をやめないとあとはただインフレが起きるのみだ。ロシアはウクライナ戦争前は8%台のかなり高いインフレだった。それをさらに加速させ、経済をむしろ低迷させる可能性が、ウクライナ戦争にはある。