春のワルツ第10話〜第18話

連休中は韓流漬けに決定しているわけですが 笑 あと2話残すのみ。

 第10話。ここでもすでに指摘した人身御供理論が全開。しかも興味深いのは、主人公ユン・ジェハとその男友達フィリップが教会で連弾をするシーン。『冬ソナ』でも『夏の香り』でもこのシーンは純愛の原型として物語の中心に機能したもの。この連弾シーンの後、ユン・ジェハはフィリップに「自分は君にとって何か」そして「君にとってウニョン(男友達が愛する対象)は何か」と続けて問うシーンがはいる。この確信犯的にホモセクシャルともいえる情景から、ユン・ジェハは急激に「彼女」に接近していく。しかもその直前には、唐突ともいえるフィリップがウニョンを危機(教会のステンドグラスが落ちてくる)から身を呈して守るシーンが挿入される。運よく軽い怪我でフィリップはすむのだが。

「春のワルツ」公式ガイドブック 前編

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 ここでこの男友達(フィリップ)は事実上「死ぬ」。フィリップの抱えていた純愛は死んでしまうのだろう。正確にいえば、主人公のユン・ジュハは変わりにその純愛を引き受けるのである。いや、ピアノの連弾シーンを考慮すればこれは冬ソナ殺しともいえる意味さえももつかもしれない。過去の作品で純愛の象徴ともいえたピアノの連弾を伴にした純愛の相手(本作ではそれは男同士の友愛と穏便にいっていいかもしれないが、内実はホモセクシャルな愛であろう*1)がステンドグラスの落下から「彼女」(ウニョン)を身を挺して救うことで「死ぬ」という人身御供を通じて、主人公のピアノ家はそれまで身動きがとれなかったウニョンとの愛を獲得する機会を得ることができる。同時にこの男同士の友愛に化身していた純愛は死んでしまう。

 
 いいかえれば過去を捨てた主人公は、本人がいうようにいまの家族もいいなずけもすべてがニセものであった空洞の人間=パペット。そこに生命を吹き込んだのが友人フィリップの人身御供である。その意味で物語の冒頭近くでフィリップがパペット遊びをウニョンとするところは象徴的でもある(ここでも『ふたりのベロニカ』の引用がある)。ユン・ジュハは新生し、フィリップはその代わり愛を失い物語りの前半でみせた快活さと生気を著しく失いいまやパペットのごときであろう。

まだ書くべきところはあるが(主人公たちの転生物語と人身御供のシェーマはまだ続かなくてはいけないでしょうね。

*1:数日前にふれた今作のキャスティングの意味がここに鮮明になる