春のワルツ 最後まで

 講義以外の日中の空き時間を利用して最後まで。四季シリーズ通算90時間余完結。


 キャスティングや各キャラについてはすでに指摘したことと関連するが、日本的おたくワールド仕様が今回は際立つ。下のエントリーにも書いたが男優陣のやおい系キャラ、ウニョン役の ハン・ヒョジュの妹属性全開、もうひとりの主演女優ソン・イナ 役のイ・ソヨンの眼鏡のクリステル先生+ツンデレ などが容易に指摘できるだろう。


 『春のワルツ』は現世における愛の犠牲への「許し」と愛の成就を獲得して終わっていて、『秋の童話』の彼岸での許しと愛の成就を基準にすれば、この『春のワルツ』は『秋の童話』殺しの側面をもつだろう。これは『冬のソナタ』と『夏の香り』の純愛ー純愛殺し の関係とシンメトリカルといっていいかもしれない(詳細は拙著『最後の「冬ソナ」論』に譲る)。また「殺し」などと物騒な表現を自粛すれば(笑)、『秋の童話』のこの世ではみたされなかった擬似的な「兄妹」の愛が、『春のワルツ』では成就することになる。その意味でこの四季シリーズは『秋の童話』ではじまり『秋の童話』の転生として終わったことになるだろう。


 また作品全体を通して、恋愛を通じた「自分がなんであるのか? 自分がいまあるのは、あるいはこのような愛の形であるために彼・彼女らが犠牲になっているではないか(それゆえ許しが必要になるのでは?)」という問いを、『秋の童話』以降テーマ設定しているようだ。この「犠牲」として下にも一例を書いた人身御供としてさまざまな人間関係が描かれる。愛する関係に転生するためになんらかの「犠牲」を払わなければならない、という監督の視点は『冬のソナタ』のラストの主人公の盲目、ヒロインとの閉鎖的な世界への隠棲という「犠牲」と同様に、本作でもしっかり払わなければいけないものとなっている。

 もっとも『春のワルツ』の最後は『冬ソナ』にくらべて比較にならないほど明るい。


オリジナル・サウンドトラック「春のワルツ」

オリジナル・サウンドトラック「春のワルツ」


 四季シリーズは韓国テレビの慣習ともいえる頻繁できつめの軌道修正を要求されるという番組つくりの制約の中で、最大限、ユン・ソクホ監督という独特の感性と恋愛観をもった人物の90時間超になる言葉の正しい意味での「思想的」作品であろう。


 これで終わりかと思うとさびしいきもするが、視聴者としてもマラソンを走り終えた充実感があるとだけ最後に書いておきたい 笑


 最後に、あえて気になった技術的?な側面として、今回も録音が弱い。さすがにマイクが上でぶら下がっているのが見えるというこのシリーズの名物?はなくなっていたが、余計な雑音を拾いすぎている。また主演の妹属性全開のハン・ヒョジュは個人的にほれたが 笑 それを割り引いても体調管理にもっと留意すべきだと思う。たぶん疲労だと思うが物語りの中盤以降での吹き出物のご尊顔は非常に気になった次第。また男優陣のドイツ語での掛け合いが中盤以降消滅してしまうのも惜しい。