大塚英志「批判」の立脚点を見出すとき

 発注者?がすでに忘れている可能性があるのだが 笑 「大塚批判」という注文*1の一貫としてまた余裕があるときにちょび読みをはじめてます。


 大塚英志江藤淳と少女フェミニズム的戦後』をそういった経緯でちょび読みしているのですが、最初に江藤淳大島弓子の犬や猫の話がかかれていて、犬猫に立脚しない人の思想を信頼しない、と大塚氏はいっております。


江藤淳と少女フェミニズム的戦後 (ちくま学芸文庫)

江藤淳と少女フェミニズム的戦後 (ちくま学芸文庫)

 なるほど、そうなると僕が「批判」してもとりあえずは「信頼」してはもらえるかもしれないなぁ。まあ、生まれたときから鳥獣戯画の世界をぶちまけたような環境で育って、とりあえず猫科だけみてもトラ、ライオン、チータージャガー?……と生活した僕(というか食事とかトラ・ライオンと同じもの=馬肉がごちそうで君臨してたし)は十分、超信頼されてしまうかもしれないw*2


 ちなみにここのブログみてる人にはおなじみでしょうけれども以下の著作もありますので*3。思いがけず、江藤淳大塚英志も僕の生活=思想wである「動物生活」の一部として「批判」的検討を加えるのがいいのかもしれない、と思う冬の空。つうか江藤・大塚的犬猫観を突っ切っているところが僕の始点=最初の生活世界なんだよなあ。いわば実践的な犬猫観というか。

ベンガル―猫クラブ (カラー・ガイド・ブック)

ベンガル―猫クラブ (カラー・ガイド・ブック)

*1:経済学者は市場の求めに応じる存在であるのですよ。ちなみに題材に応じるだけで主張の中味を適合させるかどうかは話はちょっと別

*2:別にムツゴロウ王国とは縁もゆかりもないのはいうまでも 違)

*3:いまはなき『猫クラブ』に「アダム・スミスは猫が好き」という連載も10年前にもってましたがなにか?