篠原三代平『成長と循環で読み解く日本とアジア』


 今年度の文化勲章受章者。日本の現状分析と過去のご自身の業績の回顧と再評価を含む。また猪木武徳氏との座談、BRICs諸国の経済成長の見通しまでも含む非常に話題の豊富なお得な本であると思う。日本の実践的なエコノミストには、篠原氏の独特のスタンスともいえる「ケインズハイエクの総合」や「演繹分析と帰納分析の融合」みたいな手法が微妙に影響を与えていると思う。私は前にも少し書いたが、篠原氏の主張がなかなかなじめず、理解が難しかったが、この本でなんとなくわかってきた。



 それよりも今年度の文化勲章受章者が、インフレターゲットによるマイルドインフレーション(インフレ率2ー3%)が、財政再建や安定的な経済成長に必要であることを主張していえることはうれしいかぎりである。実践的な経済学の祖である高橋亀吉石橋湛山のみならず、今日の実践経済学者もこの主張(リフレーション政策)に賛成であることは心強い。


 この本の今般の日本経済についての着眼点は、篠原経済学の中核メッセージである設備投資の中期的循環(通常は10年サイクル)という考えをベースに、90年代冒頭の日本の「バブル経済」の崩壊が、大不況に結びつくという、これまた篠原経済学のメインテーゼである「バブル崩壊と長期不況」の一適用になっていることにある。もっとも篠原氏が注意を促すように、10年サイクルでは今回の長期不況はカバーできず、20年周期になった可能性が指摘されている。


 なおこの20年周期仮説をとると今後も2010年を目指して日本経済は民間設備投資/GDP比率の拡大を続け、雇用も順調に回復をとげる「予測」を一応同書は主張している。もっとも篠原氏自身も認めているように、本書の前の99年にでた『長期不況の謎を解明する』では10年周期説に立脚していたので00年が回復への起点だったはずだがそうはなっていないことにも注意を要する。


 ではなぜ10周年仮説が今回では崩壊したのか?これは70年代の二つの石油ショックと篠原氏は採用していないジャーゴンだが「円高シンドローム」が、日本の設備投資循環を20年周期に変容させた原因だという。前者は資源制約となってインフレに作用するであろうし、後者はアメリカの貿易摩擦に関連した「外圧」によって日本にデフレ圧力を及ぼすであろう。前者が00年代の主役とすれば、後者が90年代の主役であった、というのが篠原経済学の今回の見立てであろう。なお購買力平価よりも政治的な圧力で円高傾向が続けば日本にはデフレ圧力がくわわる「円高シンドローム」については、ロナルド・マッキノンと大野健一『ドルと円』、さらに安達誠司と私の『平成大停滞と昭和恐慌』に詳しいので参照されたい。


 そして00年代の景気回復に大きな貢献をしたものとして、篠原氏は中国経済拡大効果に注目する。90−00年代にかけての対中国経済圏への輸出の伸びが日本経済に復活の「先行指標」であり、これが株価という「遅行指標」の上昇にもつながったとし、03年からの株価反転も基本的にこの対中国経済効果による外国資本の日本株買い入れ増加によるものと理解している。その意味では篠原氏は小泉政権による不良債権処理、構造改革の効果に否定的であり、また為替介入効果も限定的なものと理解している。


 また構造改革への批判点としては、郵政民営化による国債の価格維持が、長期的にはどうあれ、短期・中期的に不安定化しないようにその「非市場部分」(政府・政府関連機関の安定保有)の貢献に再注目を促している。その際に篠原氏は永久公債の発行による短期・中期の国債価格不安定化の予防を提案しているのも注目される。


 篠原経済学の回顧部分は経済学史的観点からは興味深い。なお篠原氏は高度成長期の産業政策の支持者でしられており、いわば日本の産業政策論の最初の「理論」家である。篠原経済学の産業政策論批判は、今日では小宮隆太郎らによって行われていることもわりと周知なことであろう。またいわゆる「転形期論争・在庫論争」時期の篠原氏と下村氏らの論争も歴史解釈的には面白い素材を提供している。


 さて座談部分では、本エントリーの冒頭にあげたケインズハイエクの総合とか演繹的分析と帰納的分析の相互交渉などが問題意識として語られているが、後者は異論がないが、前者はいまの田中にとってはわりと興味をひく問題意識である。もっとも総合よりもとりあえず相互交渉=論争 としてとらえるのが無難であると思うが。


 篠原経済学の不可思議な魅力を知りたい方には一読をおすすめする。