安倍政権の支持率が高いわけ雑感

 いつもはtwitterの方だけに書いていてこちらではこの類の発言が残ってないのでとりあえず自分の備忘のために(当時どんなことを書いていたかあとでチェックできるから)。

 日本経済新聞によると内閣支持率が大幅に回復している(不支持率は低下)

内閣支持率、「安保前」水準に回復 本社世論調査  :日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS29H34_Z21C15A1PE8000/

 世論調査の専門家ではないのでとりあえず他の直近の世論調査ドワンゴのネット調査、読売新聞)をみても上昇傾向は際立ち、半数以上が支持しているようだ。
 
 野党がやる気がない(=経済政策と安全保障政策でただの批判のための批判に終わっている)ことが、内閣支持率底堅いことの一番の理由でしょう。対抗する経済政策の候補案はその取りえる余地はかなりラディカルなものになっていて、民主、共産、シールズ(笑)どこをみても発想外、実行外でしょう。

 いまの小選挙区制で対抗する経済政策、安全保障政策などを打ちだせないと、残る選択肢は野合で終る数合わせで、これは万が一政治的に勝利しても、そのあとに政策的混乱と低迷をもたらすだけだと、多くの国民がこの20年以上の経験から理解していることではないだろうか? 

原田泰日銀審議委員の現状の雇用分析(栃木県金融経済懇談会における挨拶要旨)

 原田さんの現状の雇用分析をご紹介。

 全文は以下に
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2015/ko151111a.htm/

 特に賃金に関しての部分を以下に抜粋

雇用は伸びても賃金は上がらないと言われてきましたが、図表4に見るように、賃金に雇用者数を掛けた雇用者所得で見れば上昇しています。もちろん、実質で見れば雇用者所得も増加していませんでしたが、2014年4月からの消費税増税の影響を除けば実質でも増加していました。消費税増税の影響が剥落する2015年4月以降は、増加の傾向がより明らかになってきています。
(略)
賃金が上がらない理由として、通常使われる賃金データが、全労働者の月次の平均賃金であることがあります。企業は景気回復の初期には、非正規の労働者を雇って需要の増加に対応しようとします。需要が継続的に伸びるか確信が持てないからです。したがって、景気回復期には時給が低く、かつ、月の労働時間が短い労働者が増加します。すると、統計的には、全労働者の月の平均賃金が低下することになります。景気回復が続けば、企業は正規の労働者を雇うようになりますが、そうなるまで時間がかかります。
図表5は、一般労働者(フルタイム)とパートの労働者について、時間当たりの名目賃金を見たものです。一般労働者の賃金にはボーナスが含まれますので、季節調整をしても振れが大きく明確な傾向を見出すことが難しいですが、パートでは安定的に伸びています。景気回復が続くにつれて、両者の賃金とも継続的に増加し、賃金が増えていることが確認できるようになるでしょう。なお、「量的・質的金融緩和」開始の2013年4月から直近2015年9月までの賃金上昇率を見ると、一般労働者は1.2%、パート労働者は3.8%と、パート労働者の賃金の上昇が大きくなっています。

賃金動向をみると、「量的・質的金融緩和」開始の2013年4月から直近2015年9月までの賃金上昇率を見ると、一般労働者は1.2%、パート労働者は3.8%と、パート労働者の賃金の上昇が大きくなっています」とのことで、失業率の改善も含めると、アベノミクス以前に比べて働いている人たち(働こうという人たち含めて)の「経済格差」が縮小している可能性が大きい。もちろん高齢者や病気などで働く意思のない人との格差は別問題として議論する必要があるだろう。

デヴィッド・スタックラー&サンジェイ・バス『経済政策で人は死ぬか?』

 著者二人は経済学の専門家ではなく公衆衛生学の専門家である。経済政策の失敗が公衆衛生を悪化させることで実際に人を病や死に追いやることを実証的に分析した名著とよべるものである。従来でも経済政策の失敗が不況をもたらし失業者や過重労働などを生み出すことは知られていた。他方で失業などが多くの人を自殺、自殺未遂、自殺を考えざるをえない環境に追い立てていることも実証分析がすすんでいた。しかし前者と後者を因果関係から結び、不況そのものよりも不況の中での経済政策の失敗が人を殺すものであることを考え、実際に検証した業績はあまりなかった。

 不況そのものについては著者たちは、国民の健康を害する面と反対に健康促進の面があることを指摘している(後者は所得減少でアルコール摂取が制限されることなど)。しかし不況で職を失う事(所得減少よりも大きい)が、その人の生きがいを奪うことで自死に追いやることを統計的に示している。

 処方箋は不況のときの緊縮ではない。不況のときこそ自殺対策、公衆衛生への支出など政府部門の積極的な拡大が必要であり、それは多くの国民の生命を実際に救済するだろう。

 国債の累増を盾にとるかのように不況を脱しない段階で、「将来世代のため」と自己満足的な言い訳で財政再建を志向する経済学者や官僚、政治家、マスコミ関係者が実に多い。特に経済学者のどーでもいい自身の所属するムラだけに通用する論理に逃げる欺瞞性は眼もあてられない。そのような人たちはいまも自分達の「クリアな論理」が人殺しに加担するものだということを反省すべきだろう。

 本書が経済学のプロではないものによって書かれたことは、いまの経済学者の知的・倫理的腐敗を表してもいる。

経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策

経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策

関連論文
Suicidality, Economic Shocks, and
Egalitarian Gender Norms
Aaron Reeves* and David Stuckler
http://m.esr.oxfordjournals.org/content/early/2015/09/15/esr.jcv084.full.pdf

The rise of neoliberalism: how bad economics imperils health and what to do about it
Ronald Labonté,
David Stuckler
http://m.jech.bmj.com/content/early/2015/09/30/jech-2015-206295

The International Monetary Fund and the Ebola outbreak
, David Stuckler et al
http://www.thelancet.com/journals/langlo/article/PIIS2214-109X%2814%2970377-8/abstract

Greece's health crisis: from austerity to denialism
David Stuckler et al
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2813%2962291-6/abstract

1970年代の高インフレを巡る論争メモ

 昨日のケインズ学会で午後のセッションで自分で言ったコメントについてざっとまとめ。簡単にいうと「70年代の高インフレ論争における小宮隆太郎氏の高評価は過大であり、他方で新保生二の業績が過小評価されてるのではないか」というもの。若田部さんが指摘したとおり、この70年代の教訓はまだ十分に研究されてないと思う。

 若田部さんの「1970年代の経験を正しく学ぶ」ときに大切な観点は、1)期待の重要性、2)マネーの重要性、3)政策の制度的枠組みの重要性、という指摘は、この時代の日本の政策論争を理解する上でも重要。

 日本の高いインフレ論争の主要メンバーは、私見では以下の四人が代表的。
 新保生二、小宮隆太郎塩野谷祐一、高須賀義博。その他に当時の政策当局(経済白書など)の考えも重要だけどだいたいコストプッシュ説に基づく。実は中谷巌氏の『マクロ経済学入門』の初版にあるモデルやら下村治氏やエコノミスト、篠原三代平氏ら他にも考えないといけない人が多いけど、とりあえず会場ではなぜかこの四人の名前がすっとでてきたのでそのまま「主要メンバー」化。笑。

 上の若田部さんの三点からこれら四氏の主張の力点をまとめると

新保…1)〜3)すべての視点あり。3)は日銀問題
小宮…1)はなく、2)と3)。3)は日銀問題
塩野谷…3)を重視。交渉力モデル
高須賀…3)生産力格差モデルだが、実際には金本位制的な貨幣価値のアンカーが変動相場制になって不在になった不安定性を問題視していると思うので3)を重視。

という感じ。期待の重視が小宮氏にない。マネーコントロールの失敗としての日銀の在り方の問題。現状の期待をコントロールするリフレ派や現状の日銀とは異なる。むしろ新保の方は現代リフレ派につながるのではないか、というのが僕の問題意識。

報告者からのリジョインダーとして得た情報は、鈴木淑夫氏と小宮氏の共同作業の存在、齋藤誠一郎氏のインタビューに答えた小宮氏には期待要素の理解はあるがツールとして利用していたかは不明。

ここらへん70年代論争を新保、小宮に焦点をあててまとめるつもり。