もしヴィトゲンシュタインがマクロ経済学者だったら…ではなく、本当にヴィトゲンシュタインがマクロ経済を語ったとき

 スコット・サムナーのブログに「もしヴィトゲンシュタインがマクロ経済学者だったら」というエントリーがある。ヴィトゲンシュタインだったら言いそうなスタイルを模倣した面白いものだ。でもサムナーは書いてないけど、ヴィトゲンシュタインがマクロ経済について語った瞬間もあったんだ。それはサムナーが模倣したほど、ヴィトゲンシュタイン的な産婆術が発揮されてたかは正直微妙だけど。

「国家財政がひっ迫し始めると、家計も苦しくなるのではないだろうか。いつでもストが打てる労働者は、自分の子どもを秩序好きな人間には教育しないだろう」(ヴィトゲンシュタイン『反哲学断章』1947年のメモ)。

 これを読むと財政緊縮で、家計に増税されている(から苦しい)。そして増税は労働者に重くのしかかり、それによってストをうつ。だがこのストという解決方法はあまりヴィトゲンシュタインの好みではないのかもしれない。

 面白いのはやはり前半部分だろう。

「国家財政がひっ迫し始めると、家計も苦しくなるのではないだろうか」。
これに対するおざなりの答えは、「増税するから家計も苦しくなるんだろう」というものだろう。

それに対してヴィトゲンシュタインならさらにこう切り返すと想像したい。

「国家が増税したとして、それでさらに国家財政がひっ迫するのではないだろうか?」

反哲学的断章―文化と価値

反哲学的断章―文化と価値

チリ経済のいま

 チリの経済はいまどうなっているのか。ネットで収集できる資料を利用してみておこう。

 チリ経済はリーマンショックの影響で09年こそマイナス成長だったがそれ以降は6%台を維持する高い成長を記録している。

http://data.worldbank.org/indicator/NY.GDP.MKTP.KD.ZG/countries/CL-XJ?display=graph

 チリ中央銀行より

http://www.bcentral.cl/eng/economic-statistics/ipc-tpm/ipc-tpm.htm

 CPIをみるとリーマンショック以前は原油高でインフレ率が急上昇、リーマンショック後にデフレショック、いまは低インフレに戻す。チリはインフレ目標を採用。
 
 2009年当初までのチリ経済のレポート
 三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査レポート「チリ経済〜南米随一の堅調さの背景」
  
 レポートではチリの70年代の市場中心の経済改革や貿易自由化の恩恵が今日のチリ経済の背景にあるという視点である。

 最近のチリ経済のレポート
伊藤忠経済研究所レポート

 チリの貿易自由化に焦点をおいた展望論文
http://www.waseda-giari.jp/sysimg/imgs/wp2008-E-11_Stalling.pdf

 チリの所得格差についてのレポート

http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Latin/pdf/230106.pdf

ジェトロとアジア経済研究所の「チリ」検索一覧

 http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Latin/Chile/

 チリの非正統派経済学者の米国批判動画
http://democracynow.jp/video/20100922-2

Chile: An Economy in Transition

Chile: An Economy in Transition

若田部昌澄「歴史としてのミルトン・フリードマン」

 『経済学史研究』の最新刊に掲載。最新の経済学史研究は、アクター・ネットワーク理論が積極的に利用されている。経済学者たちの交流や交渉にしぼり、彼らの主張をアクター、概念、テクノロジーの連関から理解するものだ。このようなアクター・ネットワーク理論の光の中で、従来の「シカゴ学派」「新自由主義者」「市場原理主義者」などとレッテル貼りされてきたフリードマン像がどのように変貌していくのか、そのような観点も踏まえながら若田部論説は最近のフリードマン解釈を手際よく整理している。

 このアクター・ネットワーク理論的な観点から、フリードマンの属した「複数の歴史的文脈と知的ネットワーク」を、この論説では6つの局面で明らかにしている。1)20世紀後半の経済科学、2)全米経済研究所(NBER)の研究伝統、3)シカゴ学派の研究伝統、4)貨幣・景気循環理論からマクロ経済学へ至る経済理論史、5)パブリック・インテレクチュアルとしての活動、6)新自由主義運動への参加者、である。

 詳細は論文にあたっていただくことにして、ここでは五番目のパブリック・インテレクチュアルとしての活動、特に議論の多いアルゼンチンの独裁者であったピノチェット(発音としてはピノシェが正しい…若田部論説は丁寧な補注が多くこの点の注意喚起もすぐれている)との関係をみておく。

若田部論説はまず事実関係を確認する。

1)フリードマンは同政権の経済顧問であったことはない。1975年3月に数日間訪問、複数の人間と一緒に大統領と45分間会談。「その訪問では大学で講演し、チリで自由が脆いものであること、チリが政治的に自由でないことを述べている。またチリの大学からの名誉博士号贈呈」は拒否。
2)「シカゴボーイズ」との関係…シカゴ大学がチリ・プログラムとして連携強化。フリードマンは価格理論などを教えただけで、このプログラムの中心ではない。
3)しかしシカゴボーイズたちは「フリードマン以上のフリードマン主義者」として知られるようになった。この評判は、教えをうけた価格理論がシカゴ大学の教育システムの根幹であったこと、フリードマンの名声によるバイアス。
4)ピノチェの経済政策は「シカゴボーイズ」招へい前にすでに高いインフレなどで破たん。
5)フリードマンは高いインフレについては「ショック療法」を提唱していた。。またチリだけではなく、フリードマンソ連、中国などにも招へいされ、そこでもインフレ対策には金融引き締めを提唱。

なぜフリードマンだけが批判されるのか?

1・自伝でのフリードマン自身の解釈。ニクソンら保守政治家との交際、Newsweekのコラムニスト、ノーベル賞などの有名人効果。
2.ジョーン・ロビンソン、ガルブレイスらは共産党支配下ソ連、中国に招へいされ、その政権を賞賛した(フリードマンはしていない)にも関わらず、彼らのその行為は無視されるバイアスが世論にある。

この擁護への批判としては、フリードマンは名声を利用されるリスクに無自覚すぎたというもの。

若田部論説の評価

「ロビンソンやガルブレイスとは異なり、権力の集中をなにより危惧する自由主義者を標榜する限りは、左右に限らず独裁政権とのかかわり方に慎重であるべきだったという意見はありうるだろう。ピノチェトとの関係がいまだにフリードマンにつきまとう問題であるとしたら、最も説得的な理由は、フリードマン自由主義とかかわるからだといえる」。

以上が若田部論説のごく一部分であるフリードマンとチリの独裁政権との関連についての概要である。

 さてフリードマンのチリの独裁政権とのかかわりを厳しく批判するものとしては、内藤克人氏の『悪夢のサイクル』などがある。このブログでも何度かフリードマンの政治的な関与についての批判について、反論をしてきた。以下のエントリーを参照のこと。

フリードマンは黒人の差別問題を人種差別されるからではなく努力が足りないからだ、といったのか?
フランク・ナイトは本当にミルトン・フリードマンを破門したのか?
宇沢弘文翁の怒り