藤原書店、こころに残る一冊

 藤原書店も今年で20周年だという。(あとで紹介したいが)片岡剛士さんの河上肇賞受賞作である重厚な本格的経済論を近く出版する予定であるなど、出版不況の中にあってますます独自の位置をしめているように思える。以下はその記念の小冊子のために書いた短文の草稿である。ここでとりあげているものは、字数制限のために詳しくは書けなかったがいろいろ他にも面白い資料・論説があるので要注意である。

『環』「貨幣とは何か」

 藤原書店、というよりも藤原良雄社主は東京河上会の運営に多大な尽力をされている。東京河上会というのは、20世紀前半の最も偉大な日本経済学者の一人である河上肇の功績を記念して結成された会である。私が初めて藤原書店の方々とお付き合いするきっかけになったのは、この東京河上会での報告を契機にしてのものだったと記憶している。後にこの報告は、藤原書店から私の処女作『沈黙と抵抗 住谷悦治評伝』となって世にでることになった。しかし今、書きたい本はこの思い出深い処女作についてではない。この東京河上会での報告と処女作との間に、私は『環』の第三号「貨幣とは何か」で貴重な仕事をいただいた。それは三浦梅園の経済論についての論説と、河上肇のライバルであった福田徳三の三浦梅園論を注釈し全文掲載するというものであった。この特集には、ほかにもアグリエッタやボワイエらの貨幣論など多様な内容が掲載されていて、金融危機後の今日でもますます注目すべき内容の一冊となっている。

〔学芸総合誌・季刊〕 環 Vol.3(2000 Autumn) 【特集】貨幣とは何か (環 ― 歴史・環境・文明)

〔学芸総合誌・季刊〕 環 Vol.3(2000 Autumn) 【特集】貨幣とは何か (環 ― 歴史・環境・文明)

あと僕の源流のひとつは、上でもふれた以下の本。これと野口旭さんとの共著『構造改革論の誤解』(これもどこかで文庫化してくれないかな)とともに忘れられないもの。もう数十冊しか在庫がないのでどうか購買お願いします 笑

沈黙と抵抗―ある知識人の生涯、評伝・住谷悦治

沈黙と抵抗―ある知識人の生涯、評伝・住谷悦治

勝間和代・宮崎哲弥・飯田泰之『日本経済復活一番かんたんな方法』

 御本頂戴しました。ありがとうございます。デフレ不況脱却のための方策をクリアに説明している点で読まれていくのではないかと思います。

ただ水を大量にさすようで申し訳ないけれども、『日本経済復活一番かんたんな方法』を半分まで読んで、ちょっと急停止せざるをえない。飯田パートに展開されている彼の個人的な価値観に正直ついてけない。 例えば実質賃金がデフレで上昇するから駒澤大学はたぶん潰れないのでせこい意味ではデフレは飯田個人では大歓迎とある。正気か? と疑いたくなる。自分の職務として大学生の就職やまた学業の継続の点でもデフレが厳しくのしかかっているのは彼もこの本の中で認めていることだろう 。そのような大学生の窮状はデフレ分析という社会的な立場からの分析であるだろう。と同時に駒澤大学教員という彼個人の職場の環境をも規定するだろう。簡単にいうと日常的にゼミ、会議、講義などの場で学生の窮状ないしその可能性をまのあたりにいする機会があるだろう。 そのような機会ないし機会の可能性の増加に思いをめぐらせれば(いや、当然にめぐらしていると思ったのだが)、駒澤大学教員としてデフレがいいなどとは個人の立場としてもいえるものではないだろう。 彼はこの話を持ち出す前に小飼弾が消費税についての評価で、富裕層の小飼が個人的な利益と社会的な立場をちゃんと区別していると説いている。その区別の是非はどうでもいい(反経済学をふりまいている人物に評価を与えることもないと思うが)。 問題なのは小飼とのアナロジーとして飯田氏が先の駒澤大学教員のデフレ利益を説いていることだ。確かに小飼にとっては消費税が上がっても富裕層の彼には影響ないか事実上得だろう。 しかしこの小飼からのアナロジーを大学教員(つぶれやすい大学とかつぶれにくい大学というのがここでの問題ではない)のわたしたち教員の立場にそのままあてはめることは少なくとも僕にはできない。あまりにも安易すぎる。正直、先を読む気力を失った。

ただ僕とここをご覧の方々は当然に価値観も現実認識(個人的利害と社会的見識の区分の度合い)も違うだろうから、そういう方はぜひこの本を手にとるほうがとらないよりも数段いいだろう。ただネット的には「リフレ派」と称されても時としては受け入れがたいほど価値観の違う問題や見方もあるということを知ってもらえれば十分である。現状の打破としては(半分しか読んでないが)ベストの処方箋をこの三人なら提起しているだろう。

日本経済復活 一番かんたんな方法 (光文社新書 443)

日本経済復活 一番かんたんな方法 (光文社新書 443)

中村宗悦「「高橋財政」に関する新聞論調」

『歴史評論』の3月号は、1929年世界恐慌と日本社会の特集である。正直、中村さん以外の論文の日本語が非常に読みにくい。また歴史分析とはいえ、経済問題を扱う上での論者たちの分析ツールがどうも僕の持っているツールと違うような気もする。経済思想史研究の文体と歴史分析の文体の違いというのはかなり顕著なのかもしれないが。

 さて中村さんの論説では昭和恐慌期から馬場財政以降までの新聞の論調が当時の時代背景とともに的確にその特徴が描かれている。今日でも同じだが、新聞の論調には標準的な経済学的見地はみられない。ではどんなスタンスかというと「高橋財政」初期は、「井上財政」のスタンスの反映のような「インフレ政策」批判、清算主義的なニュアンスのものが中心であった。

 中村さんは「デフレ不況が深刻さを増している最中にも「インフレ政策」を忌避すべきものとして批判しているのは驚くべきことである」と指摘している。まさにいまの日本社会の現状と一部重なる(とはいえいまのメディアは特に最近ではそれほどひどくはないが)。

 さらにこの清算主義マインドは、「インフレ政策」が効果を表すとなりを潜め、これと常に連動している別のイデオロギー(財政の維持可能性への局所的な注目)が中心をしめるものに変化する。と同時に「インフレ政策」を政府とともに実施していた日本銀行への高い評価(特に過度なインフレ政策を抑制する統制されたインフレ策、今日のインフレ目標政策と類似した発想)が現われる。

 ところが二・二六事件の後では、以下のように政治的状況に押し流されてしまう。

「しかし、高橋亡き後、「庶政一新」「国民の生活安定」をスローガンに掲げた「馬場財政」に対しては、それを「高橋財政」の矛盾を突破するものと捉えた。これは「馬場財政」の増税作への転換と積極主義への組み合わせを評価したからだと考えられる。しかし、公債増発による拡大予算が軍部の要求も呑む形で成立すると、新聞論調も「準戦時体制」へと転じていったのである」

 要するに「統制されたインフレ策」=低いインフレ目標政策と今日呼べるもの、を新聞論調はなぜかクーデターを境にその支持から放棄へと姿勢を転換してしまっている。これは新聞論調が経済学的な立場に立つのではなく、その時々の政権のスタンスとその問題設定をそのまま鵜呑みにしているからではないだろうか。

歴史評論 2010年 03月号 [雑誌]

歴史評論 2010年 03月号 [雑誌]