門倉貴史『中国発世界恐慌は来るのか?』

 『イスラム金融入門』に続いて、田中の講義アンチョコ(笑)として愛用確定の一書。ちょうど夏季休暇に僕の大学のように留学生の多い環境だと課題図書にできるかもしれない。

 『イスラム金融入門』はお世辞ではなく効果絶大で、イスラム金融大国のパキスタンからも学生が何人か来ているのだけれどもあまり詳しい仕組みは彼らも知らなかったので門倉さんの本は非常に便利だった。

 いまはちょうど中国経済の俯瞰をしていて、これは経済思想史家らしく(笑)、関志雄氏の『中国を動かす経済学者たち―改革開放の水先案内人 』がアンチョコ。それに張五常や林 毅夫の原典を基本にして講義を組み立てている。それに門倉さんの時論的なこの本を利用させてもらうことになるだろう。

 しかし中国からの留学生の多くはやはり五輪後の中国経済をかなり悲観視している感じがする‥‥。

 

白川総裁一問一答雑感

 
 http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-32758820080715

 パターンは同じ。

 景況が悪化→対応はシナリオの漸次下方修正(シナリオ書き換え)→シナリオ通りと繰り返し、先の展望は明るい(リスクはあるものの)、と発言。

 シナリオ書き換えの一例:http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20080115#p4
 シナリオ通りの一例:http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070727#p3

 まさに姑息な官僚的書き換えと詭弁。経済の問題ではない*1んですよね、本質的に。下へ続く

景気より減速、日銀「より政策運営困難」:なんでもない雑感

 別段、経済の話ではない。

 今日の各紙朝刊をみると日本銀行の景気見通しの悪化と新聞のコメントの「一段と難しい政策運営」(東京新聞など)云々の表現が踊っている。

 しかし現状では何もしないことを「最善」と選択している集団であり、「一段と難しい政策運営」ということが実際に何を意味しているのか皆目わからないのだが。それは何もしないでいる時期を延ばすことがどこまで可能であるのか見極めることなのだろうか? それとも何か政策があって(タイミングがどんどん悪くなっているのがわかっているのに)しかるべきタイミングを待っているのだろうか? どちらも意味がとりがたい行為である。

 少なくとも「一段と難しい政策運営」というのは政策手段を実施しすることを決意したときに、その選択の幅が狭められたときに使う表現ではないだろうか? 新総裁になってから(もちろんそれ以前から)現状維持が続くのであればそれをもって「一段と難しい政策運営」というのは意味がわからない。ただ単に日銀の政策の失敗が明らかになったと書けばすむことであろう。

 もちろん現状で政策の手段がない、と私はいいたいわけではない。前にも書いたが白川総裁が学者肌だから理屈で納得すれば大胆な政策転換を行う、という観測が僕の周囲の経済学者も希望的に述べていたことがあった。しかし過去を遡ると、この日本銀行という組織がそのリーダーが中心となって政策転換を行ったケースは実に乏しい。

 いま考えられるのは、仮に景気が相当な底割れか、あるいは時期的にかなりラグを置いて、それこそ手遅れ段階で実行するという感じだろうか。サブプライム危機、中国などの新興国の問題、原油高などなど、僕は大胆にいえばそれは日本経済の動向を考える大局的な見方でもなんでもなく、あいかわらず日本の社会の行く末を考える上で重要なのは、国内の頑迷な中銀の政策がすべてである、という認識しかもてない。しかも政策よりもいまの段階は人間性のレベルの話でしかないように思える(自己保身かそれともそうでないかというレベル‥‥。

 人間性が問題であるならば(つまり政策の理解が不足しているとか、政策の実行可能性がない、とかが問題ではない!)、人間性を変えることは不可能である。そんなことは彼らも十分承知しているだろう。自分達にはいまの政策決定の枠組みの中で「羽目をはずす」ことができないことを。その意味で、副総裁でも政策委員でもいいから、不協和音をおこす人間性をもった人材をいれるべきだ。それが日銀に政策転換への「口実」を与えるはずだ。つまり「あいつが野蛮なこといいだしたから不承不承したがっていく(あるいは表だって賛成できないがこっそりその提案をぱくっていく)」ということが日銀に可能になるような、中原さんがかって果たしたような役割である。

 これはよく知られていることだが、ある某国厨銀の元総裁は、ある国で01年ぐらいにおこなわれた量的緩和の政策転換を自らの最大貢献としていまも自慢し、それのに対する周囲の評価がないことを(むしろ彼の“部下”だった別の委員の業績と見做されることに)しばしば不満にもらしているという。つまりその某国での量的緩和政策自体の提案がしばしば不協和音をもたらしたほかの委員からでていても、それはその委員の実績ではない、と理解されているわけである。よく中小企業やどうしようもない組織でみられる上司の部下の貢献のパクリである、笑。

 しかしいまはそんなパクリをさせてあげる?ような環境をつくることが最善である。

 頭がよすぎて(合理的すぎて)、政策転換への口火をきる人材に不足しているいまの委員構成(もっとも金利上げの口火をきる人材には事欠かないがw)を変化させることが、実は「口実」の不足に悩む日銀内部からも求められて‥‥いることを期待したい。苦笑。

内田樹『こんな日本でよかったね─構造主義的日本論 』

 献本いただく。どうもありがとうございます。読む暇はいまないのでそのうちまとめて内田樹フェアでもやろうかなあ〜と遠い目をした中年は思っています、かしこ

こんな日本でよかったね─構造主義的日本論 (木星叢書)

こんな日本でよかったね─構造主義的日本論 (木星叢書)

資本主義の多様性

 前期授業が8月第一週まで食い込んでますので(涙)、体力とやることのバランスをとりますと、どうしてもブログ更新はこの時期はなおざりです。しかしなんでこんなに講義期間が長くなっちゃったんでしょうか? 自分で決めたわけでははないので 笑 わかりませんがひたすら個人的資源を損耗しております。また涙。

 そんなわけで何か話題があって書いてるわけではないのですが、いま正規の研究以外に注目している話題は、資本主義の多様性と金融政策との関係でしょうか。もともと日本経済思想史研究の深みに入ったきっかけは、山田雄三氏の『価値多元時代の経済学』を読んでからでして、城山三郎の山田氏との交流録でもお読みいただければわかりますように、経済体制の比較史的視点が山田氏の独特の関心を形成しています。城山の本についてはecon-economeさんがお書きになった感想がありました

 さてその資本主義の多様性について、最近出た積読本(笑)を一冊ご紹介しましょう。ボーモル御大が他二名の共著者と書いた以下の本です。研究室には先週届いたばかりでまだよく見てはいないのですがなかなか面白そうです。amazonの書評子がなかなか簡潔なまとめを書かれているようなのでそれを参考にするのもいいですね(他力本願)。

Good Capitalism, Bad Capitalism, and the Economics of Growth and Prosperity

Good Capitalism, Bad Capitalism, and the Economics of Growth and Prosperity