岩田規久男『テキストブック金融入門』

 献本いただく、どうもありがとうございます。

 去年まで金融論を担当していたので信頼できてなおかつ最新の時事や制度的な話をフォローしてくれる金融論のテキストが不足していることは深刻な問題でした。ミシュキンのテキストを日本むけに直してその簡約版を講義の土台にしていましたが、この岩田先生の最新のテキストがでていればこれを使ったことは疑いないでしょう。

 店頭でご覧になれば一目で明らかですが、コラムなどで最新の話題(サブプライム問題など)をフォローしつつ、金融とは何か、貨幣と決済の仕組み、銀行による貨幣の供給、貨幣と金融取引、直接金融の仕組み、間接金融の仕組み、金融市場と金融資産、リスクと金融制度、金利と資産の価格、など基本的な話題を網羅し、文字も大きく、紙質も柔らかく、文章もうまいので非常に読みやすいです。

 さらに後半は、今日の世界経済、日本経済を考える上での基礎になる、金利・資産価格と経済行動、経済変動と金融政策の章があり、この一冊で金融論の全貌が把握できる仕組みになっています。

テキストブック 金融入門

テキストブック 金融入門

いわゆる「新前川レポート」的なものを読む

 大竹文雄氏作成の「グローバル経済に生きる −日本経済の「若返り」を −」http://www.keizai-shimon.go.jp/special/economy/item1.pdfを読む。一言でいうと無残である。確か報道では新しい「前川レポート」をつくる、という趣旨だったように憶えている。今回の新「前川レポート*1は、その批判と成果(??)の上に立脚しているはずだが、残念ながらその種の作業が行われ活かされているのか疑問である。

 「前川レポート」というのは1986年に当時の中曽根康弘首相の私的諮問機関が発表した文章である、少なくとも経済学者の側の批判では小宮隆太郎氏らによってその政策目的と政策手法の組合せ、採用されている(非)経済学的発想の是非をめぐって議論が行われてきたものである。そしてほぼ「前川レポート」については以下の評価が妥当する。

 「前川レポート」は日本が黒字減らしをすると宣言し(言い換えると日本の黒字が「悪い」という認定)、そのために今日の「構造改革」といわれるような政策で輸入拡大を行うことであった。なおその「構造改革」の中にはなぜかアメリカ側の「輸入数値目標」の受諾のようなものまで含まれていた。もちろんこれは貿易黒字・赤字という貿易不均衡をただ単なる輸出・輸入の関係のみに注目し、マクロバランス(貯蓄・投資バランス)を忘却したただ単なる「妄説」(小宮氏の表現)である。

 「以上のように、政治家や政策担当者も含めて、人々は一般に、貿易不均衡とは要するに輸出と輸入の差額であり、それは、市場の開放性、「国際競争力」など、もっぱら輸出入に影響を与えると思われる要因によって決まると信じているようです。しかしながら、特定の財貨サービスの貿易がいかに制限されていようとも、資本流出入が生じれば貿易不均衡もまた必ず生じるのです」(野口旭『グローバル経済を学ぶ』ちくま新書、一部表現改変)。

 そもそも貿易黒字が削減しなければ「ならない」ものかというとそれもまた意味が不明なものであったことはいうまでもなく、そして貿易黒字の削減に「構造改革」的なものや、政府が貿易の大きさを意図的に左右できる、という発想も間違いである。

 この「前川レポート」的発想は「日本型システム」は世界経済(少なくともアメリカとの協調)に不適応であり、「構造改革」が望ましい、とするものから、やがて「バブル」経済の発生、90年代の停滞もこの「構造改革」の遅れである、と議論はスライドしてきた。

 このような「前川レポート」がなぜ復活したのか? その考察は他の人にまかせる。しかし今回の報告もこと大竹氏の文章をみると、

 貿易黒字の削減目的はないものの、今回はグローバル化・IT化の下での「若返り」が政策目的であり、そのための「構造転換」が要求されている。

 しかし今回のレポートもまた大竹氏の従来の主張ともシンクロするのであるが、日本の長期停滞を「構造転換」の遅れ、として認定する主張の一種であり、私はそのような長期停滞の理解は誤っていると思うので賛成できない。そしてこの根深い対立は置いておくとしても、はなはだ疑問な諸点がサバイバルしている。

 例えば無定義な言葉が多く、それが政策課題の置かれた状況、目的、手段として利用されすぎている。

「? 飛躍的な技術革新 バイオやナノテクといった先端分野の研究開発が急速に進展し、 IT、環境・エネルギー技術、金融技術等が、製品、コンテンツやビジネスモデルに一大変革をもたらしている。デザインやブランドも高い付加価値を生むようになっている→「付加価値」とはなんだろうか? それが多い「技術革新」を生み出すことが、経済の「若返り」にどう結び付くのだろうか?

「? 多くの部門で競争力が相対的に低下 わが国の競争力に対する評価も、全体的な指標で見る限り、低下している。IMD(国際経営開発研究所)世界競争力ランキングで見ると、1993年には1位だったが、2008年には 22位と順位を下げている。この背景にあるのは、グローバル化への取り組みの遅れである。EPA/FTAへの取組みを見ると、発効済み協定相手国の貿易額比率は、米国 35%、 EU72%(域内を含む)、中国 19.5%に対して、わが国は9.4%にとどまっている 。東京証券市場での外国企業の上場数は、2007年 25社と1991年127社から大幅に減少している6」→「競争力」とはなんだろうか?この「競争力」の順位がもつ経済学的な意味はなんだろうか? そしてこの「競争力」低下の原因とされる「グローバル化への取り組みの遅れ」は、協定相手国の貿易額比率の多寡、外国企業の上場数で評価されるべきなのだろうか?

 これらは一例にすぎないが、それはそれとしてやはり根本的な問題として日本経済の「若返り」に「構造転換」が必要なのだろうか? 本報告では、いま現在に至るまでの日本経済の老化=「若返り」の失敗があった、という理解であり、それは「構造転換」の失敗であるらしい。

 その認識が典型的なのは以下の文章だろう。

「高度成長期につくられた、いわゆる日本型経済システムは、終身雇用、株式持合い、系列取引、メインバンク制など、長期の固定的な取引関係を特徴としていた。しかし、グローバル化、IT化など大きな環境変化により維持が困難になり、その結果、不十分な形で新しい仕組みが割り込み、ひずみが生じている。
そのひずみが典型的にあらわれているのが、非正規雇用の増加である。既存の終身雇用・年功賃金に手をつけずに、過剰雇用を削減しようとすれば、その調整弁はどうしても新卒採用の抑制と非正規雇用の活用に向かう。しかもグローバル競争の圧力が持続する状況下で、雇用制度の抜本的な改革が遅れ、正規、非正規間の格差が長期固定化されようとしている」

 この大竹氏らの見解についての批判は著作でも何度も書いたがこのブログの過去エントリーを利用して再掲載しておく。

*1:正直にいえば大竹氏以外の発言を読む気がしない面子が勢ぞろいである

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