ドラッカーと大河内一男、民営化とナチス


 昨日出席した研究会で、ピーター・ドラッカーの処女作『経済人の終り』と、それを意識していた大河内一男(『スミスとリスト』の附論での「経済人の終焉」)との類似と相違という論点は、両者の自己利益最大化=合理性に対する批判として読むと興味深く、他方で前者は明白なナチス批判であるが、後者はナチス的経済体制を必ずしも全面否定していない点で差異がある。

 ドラッカーの本についてのまとまった要約はこの方の感想に詳しい
 http://blog.goo.ne.jp/vergebung/e/a882b2fc35373effa117b603d0460f52


 また関連する話題としてブログhttp://economistsview.typepad.com/economistsview/2006/09/the_origins_of_.htmlで紹介されていた以下の論文も興味深い。

Bel, Germa'. 2006. ""The Coining of "Privatization" and Germany's National Socialist Party." Journal of Economic Perspectives, 20: 3 (Summer):
http://www.atypon-link.com/doi/abs/10.1257/jep.20.3.187

 ドラッカーが「民営化」privatizationという言葉を使用した最初の例として信じられているが、実際にはドラッカーが『経済人の終り』を書いた頃に、ポール・スウィージーが「再民営化」reprivatizationという言葉を使ったのが最初。彼はナチスの国有企業の「民営化」をその言葉で意味し、ナチスの政策は「民営化」によって資本家層の投資の刺激、公衆の消費の抑制などを目指していた、というものだという。

 あとで付記するかも

漢奸問題の読書


 映画『ラスト、コーション』を観てから、なんとはなく日中戦争期の日本の総合雑誌、新聞などの論壇の論調と、上海や北京での中国人知識人の発言を比較対照して時系列的に分析できないか、その過程で昭和研究会などに結集した日本の知識人の発言の意味をもう少し深く見ることはできないか、と夢想している。


 いくつか関連書籍を集めだしたのだけれども入門段階としては、丸山昇氏の『上海物語 国際都市上海と日中文化人』が江戸時代から中華人民共和国成立までの日中知識人像を当時の政治や文化状況と比較していて参考になった。拉致や暗殺そして密偵などが知識人たちの活動と隣り合わせの出来事であり興味が尽きない本である。

1667 上海物語 国際都市上海と日中文化人 (学術文庫)

1667 上海物語 国際都市上海と日中文化人 (学術文庫)


 これを足がかりにして、個人的にお気に入りの作家堀田善衛の『漢奸』を読んだ。これは日本の敗戦をうけて、上海の新聞社に起きる悲劇(漢奸詩人とその家族の悲劇)を、著者らしい覚めた筆致で描いた秀作である。こういった隠れた名作が日本にはまだまだあるのだろう。むかしほど小説に魅力を感じていないのだが、こういった小説ならば何作読んでもいいかもしれない。

広場の孤独・漢奸 (集英社文庫)

広場の孤独・漢奸 (集英社文庫)


 これはまだ手に入れたばかりで読んでいないが、漢奸問題では基本書のひとつであろう、劉傑『漢奸裁判』はそのうちこの漢奸問題を自分なりに整理できた段階でまた紹介したい。