日経新聞の「子猫殺し」の記事について


坂東眞砂子氏の例の記事について


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/770743.html


 ほかのブログや掲示板での反応をすべてみたわけではないけれどもやはり人間のエゴ論に基づく批判が中心になっている印象。ここでは過去に猫の本を書いた経験(リンク先の本はペンネームで書いた)からいうと、やはり避妊手術をうけさせたほうがいいでしょう。

 なぜなら避妊しないで子猫を捨てる →一部は記事のように死ぬが、一部は生き残る →生き残った猫たちは生殖して雑種化がすすむ → サモアでも血統書つきの猫が取引されている≒ペット市場が成立している →(いろいろな条件を一定とすると猫の雑種化がすすむと)猫≒ペットの市場価値が低下する。

 通常の右下がりの需要曲線を描いてそれが左下方へシフトする状況。サモアで取引される猫の評価が雑種猫によって一種の外部効果を与えられたと解釈することが可能でしょう。この反対は例えばサモア産の猫が市場でペットとしての高い「評判」「名声」「ブランド」を獲得する場合などが想定される。

 猫の市場価値があがると猫を放棄することの抑制にもつながっていくと思いますが、どうでしょうか?

 太陽(アレクサンドル・ソクーロフ監督作品)


 吉祥寺のバウスシアターにて深夜上映。吉祥寺は自宅からも夜いけば近いのでここで非ブロックバスター系の映画をやってくれるのは非常に助かりますね。というわけで一時期は日本で公開されないかもしれないと思いDVDの購入を考えた『太陽』。観客の年齢層はやはり非常に高い。



 同じ指導者の戦争末期の生活を描いた『ヒトラー 最後の12日間』とはまったく異なる視点(『太陽』の方は敗戦後の生活も描かれている)。リアルな東京の廃墟と幻想的な爆撃シーンや絶え間なく聞こえる航空機の音や機械音などが戦争を予感させる以外は、昭和天皇の内的な側面に絞って創作している。映像の作りこみがすごく、引き込まれる。ラストシーン近くのイッセー尾形昭和天皇)と桃井かおり(皇后)とのやりとりや、その直後の侍従(佐野史郎)とのからみは圧巻。特に桃井かおりのあの目は迫力がある。ソクーロフのほかの作品も見たくなってきた。評価☆☆☆☆1/2


映画『太陽』オフィシャルブック

映画『太陽』オフィシャルブック


 映画館で『映画『太陽』オフィシャルブック 』を購入していま読んでいるけれどもソクーロフのインタビュー(沼野充義聞き手)が非常に面白かった。ソクーロフ昭和天皇人間性やその政治的・歴史的な役割をどう解釈しているか、日本への暖かいまなざしとともにわかりやすい。このインタビューはこの映画に関心がある人は必読。それと本書には西部邁氏が最後の対談にでてきてソクーロフ天皇観に冷水を浴びせてたり、いくつかの日本人にはおなじみの典型的な市民社会的理解もでてきたり、と多様な意見がバランスよく収録されていて、これは読み応えあり。おススメ。


(補遺) 汗かき親父さんの情報で福田和也氏の『週刊新潮』の『太陽』評を読む。予想通りに酷評w。本筋からずれるが僕は福田和也氏の書いたもの読んだのこれが二回目かな?(正確には書いたというよりもしゃべったのを立ち読みして呆れた。これねw。立ち読みの記憶では申し訳ないのでそのうちまとめて何か書くかな(書くほどのことでもないが)。

さて本筋に戻すと映画の評価としてみたときに福田評は参考になる。特にソクーロフ昭和天皇を「神」として描くことに失敗しているというのがおそらくこの評論の趣旨なんだろうが、それはこの作品を考慮すべきひとつの重要な論点でしょうね。

福田氏の論点に関連するソクーロフの発言を上の『太陽』本から引用しておきます。

天皇の「人間宣言について言えば、これは複雑な問題ですが、私は天皇が本当のところでは神格を放棄したとは考えていません。なぜなら、天皇の神聖さは天皇自身が自分から身にまとったものではなく、歴史の流れの中で形成されてきたものであって、天皇自身が放棄できるものではないのです。天皇が「人間宣言」したからといって、日本人の国民生活を、精神的にも、政治的にも変えたわけではありません」(31頁)。

あと『太陽』は見なくてい、はさすがに書きすぎ。そんなに悪い映画じゃないよ。頭に何か一物あればw 怒るのもよし感涙にむせぶのもよし。