現在はコアコアCPIだけでなくいろんな物価指標を見た方が吉
Xポストから。
コロナ禍からまだコロナ禍の後遺症が経済に残る現段階では、前も書いたが物価指標はコアコアCPI(生鮮・エネルギー抜かす消費者物価指数)以外にもいろいろな指標とその動きを「特に」見た方がいいと書いた。
とりあえずコアコアCPIをみてみると、日銀のコアコアCPIの委員見通し中央値は今年度も来年度もインフレ目標2%に届いてない。念為。
コロナ禍とその後遺症が経済に残る中で、コアコアCPIに「だけ」注目してはまずいのは、日銀の展望の中のこの図表を直観的にみても明らか。コロナ禍以降は足元までコアコアCPIの動きとGDPギャップの動きが乖離している。それ以前はかなり連動。現状ではいろんな物価指標をみた方がいい。
上では「あえて」コアコアCPIの見通し「だけ」を日銀の資料を利用して紹介している。繰り返すがコロナ禍以降現在まで、コアコアCPI「だけ」みてはまずいと思う。いろいろな指標をみるべき。特に個人的に注目しているのは、片岡剛士さんたちPwCレポートの品目別の価格分布の推移など。
最新版はこちら。
消費者物価指数(全国、2024年2月)-電気・ガス代負担軽減策縮小の影響で再び加速-(2024年3月25日) (pwc.com)
片岡さんのXポストも引用
カール・メンガーとカール・メンガー文庫
これは長期更新予定のエントリー(似たものとしては村上春樹読書メモがあるw)。
メンガーの『国民経済学原理』(初版)をとりあえずドイツ語で読んでいく。幸いにしてネットで読める。翻訳は安井琢磨訳とそれを修正した安井琢磨・八木紀一郎訳がある。英訳もたしかあるはず。
Carl Menger: Grundsätze der Volkswirtschaftslehre - Austrian Essentials - Austrian Institute
上のサイトでは章もわけて全部で23セクションに分かれている。
英訳はこれ
https://cdn.mises.org/Principles%20of%20Economics_5.pdf
とりあえずこれだけにして追々情報と読書記録を付加していく予定。ドイツ語頑張らないとw。
「安西水丸展 村上春樹との仕事から」
ポストケインジアン研究会に出席して:植村博恭(横浜国立大学) 「制度派ポスト・ケインジアンの継承:21世紀のさらなる発展」
ポストケインジアン研究会はここ数年、一年に一回以上は出席しているw。僕自身はポストケインジアンではないので、基礎知識が欠けるので今回もできるだけ事前に勉強。浅田統一郎さんの報告への感想は別のエントリーに書いたので省略。
植村博恭(横浜国立大学) 先生の「制度派ポスト・ケインジアンの継承:21世紀のさらなる発展」も面白かった。植村先生の最近著Japanese Institutionalist Post-Keynesians Revisited: Inheritance from Marx, Keynes and Institutionalism (2023)も戦後の日本の経済学者を中心に、日本の制度派ポストケインジアン(JIPK)を描く試みで面白い。日本以外ではボワイエとボウルズらが中心にでてくる。日本では、杉本栄一の「切磋琢磨」creative rivalryの概念を主軸にして、杉本、都留重人、高須賀義博、岸本重陳、宮崎義一、伊東光晴、宇沢弘文、石川経夫の貢献を整理して、特に「切磋琢磨」の観点からは、マルクスとケインジアンがとりあげられ、制度派的な関心が日本のケインジアンの中で形成されていくという流れになっている。以下はあわてて撮影したのでちょっと不鮮明だが、JIPKの最先端の論点未解決問題を植村先生が提示したスライド。面白いと思う。
個人的な質問としては、一橋大学の流れがわりと強調されていたので、特に「切磋琢磨」概念は、福田徳三の中にマーシャル(ブレンターノ)とマルクスの切磋琢磨ですでにあり、それを杉本が継承した可能性を指摘し、さらに上のスライドでもある(非筒橋大学系経済学者たちの重視する)価格の「所得帰属機能」もまた、福田の生産ー流通の二分法の中で、後者の流通論において価格と所得の同時決定的な話題ですでに問題の方向性が形成されていたとコメントした。
と同時にこの一橋系の経済学者たちだけではないが、JIPKに共通してみられるのが総需要刺激政策とくに金融政策への無理解とその効果への懐疑的な立場で、端的にいって清算主義的に陥りやすいことを述べた。それは福田徳三vs石橋湛山から、塩沢氏のその昔あった彼とリフレ派との清算主義(塩沢)と反清算主義(リフレ派)にもつながる話であるともコメント。
さらに杉本の「切磋琢磨」は、彼の中で統合されたマーシャル&マルクスに対して、そのような統合に異論を唱えたいわゆる「近代経済学」の安井琢磨との「切磋琢磨」を意味していたし、その後のJIPKといわれる人たちも小宮隆太郎ら近代経済学側との「切磋琢磨」が中心であり、本書のようなマーシャル・ケインズ的伝統とマルクスとの「切磋琢磨」が日本の経済学では中心にあったように思えないと指摘した。
あと基本的な知識として、SMTモデルというのを今回はじめて知った。
西洋氏の書評はこちら
ちなみに最初のスライドにでてくるLavoie(2022)は以下の本だろう。個人的にはPKそのものの基礎知識に欠けるので、このダイジェスト版のような位置にある『ポストケインズ派経済学入門』ナカニシヤ出版が便利だけどw
Post-Keynesian Economics: New Foundations
浅田統一郎他のケインジアン動学モデルによるMMT(現代貨幣理論)解釈への感想
土曜は、浅田統一郎さんのMMT的論文の報告をきいて、久しぶりにMMTのお勉強。下に論文はリンク。ケインジアン動学モデルでMMTの要素を解釈するのは個人的にはわかりやすく大変ありがたい貢献だと思う。12個の方程式と12個の変数の体系。この論文のようなモデル化の成果がないと、いったい何がMMTの特徴で、なにが問題点なのかわからない。モデル化は必要ないという変な意見もあるがとんでもないことだと思う。
浅田MMT的モデルの結論を先に書くと、従来のケインジアン動学モデルでいえることをわざわざMMTというレッテルで売り出しているということに尽きると思う。つまりMMTには新規性がない、あるのは不明瞭な発言と既存のすべての経済学との差異の強調、さらには政治的ふるまい、ということになると思う。
浅田さんたちの論文は以下
A Mathematical Analysis of a MMT Type Coordinated Fiscal and Monetary Stabilization Policy in a Dynamic Keynesian Model
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0167268123003463
で、会場で質問したけれども、このモデルのうち、(6)式の期待修正されたフィリップス曲線がやはり論点ではないかと思う。野口旭さんの『反緊縮の経済学』でのMMT批判や、またThomas Palley氏らの批判は、MMTには総供給曲線がない、というものだと理解している。それは(6)の欠如を意味し、さらに(8)のような導出を不可能にする。簡単にいうと物価水準が不定。12個の変数と11個の方程式になってしまうからだ。
他方で、MMTの主張者自体も(6)式のような物価水準と失業率のトレードオフや自然失業率を否定している。かなり強く自らの立場と(6)式の否定を連動させている。一例としてレイ『MMT』翻訳39頁をみれば明瞭である。となるとやはりMMT側も(6)式がないので、上記の批判者たちと同じように浅田体系では11個の方程式と12個の変数で物価水準が未定になるのか。ところがそれは違う。MMTにとっては(6)とは異なる総供給側の説明がある。それがJGP(雇用保証プログラム)だ。インフレと雇用はトレードオフにはならず、特に動学的な枠組みでは、雇用はつねにこのJGPを採用することで「完全雇用」として扱ってもいいだろう。つまり浅田論文でいうとeは常に完全雇用水準e*にある。とすると11個の変数と11個の方程式で帳尻はあう。他の方程式も修正するのはもちろんである。特に政府の国債発行ルールを示す(11)式は、第1項はJGPを保証する賃金総額(外生変数)で与えた方がいいだろう。状態変数空間を示す方程式群も修正が必要だが、むしろ変数が減るのでやりやすいかもしれない。
こういうことを書けるのも浅田さんがモデル化をしてくれたからである。とても貴重な貢献である。やはりMMTはポスト・ケインジアンから出ているのでその枠組みで考えた方が特徴もおさえやすいなと思った。
上記論文の数値計算は、前提となる知識にまだ理解が欠けるので後日あらためてゆっくり検証しておきたい。ちなみにこの論文の元になるものが以下である。こちらはMMTの浅田モデルによる経済政策的含意がわかりやすく解説されているので上記の論文よりもいいだろう。ちなみに一部の方程式でタイポがあるが、それは上記の論文と照らし合わせればわかるはずだ。
Coordinated Fiscal and Monetary Stabilization Policy
in the Manner of MMT: A Study by Means of
Dynamic Keynesian Model
https://www.jstage.jst.go.jp/article/revkeystud/2/0/2_148/_pdf/-char/ja