はじめてマンガ研究会にいった!

 「マンガばかり読んでるとバカになるぞ」といまは隠居した親父と涅槃にいる母親にいわれた田中ですが、マンガばかりよんでいたおかげで、マンガ研究会にいけました!


 本日は日仏学院で小田切博さんの報告を聞いてきましたよ。まあ、その話はとりあえずおいといて 笑)

 その研究会は、BD(ベデ)研究会というフランスのマンガの研究会です。会場は小田切さんの人気を反映して満席でした。

 さて二次会ですが、約束がありますので、まずはなんといっても現状で日本にフランスのマンガを紹介する画期的な試みともいえる媒体『ユーロマンガ』をてがけたフレデリック・トゥルモンドさんと親しくお話ができたことがうれしいですね。『ユーロマンガ』では、特に吸血鬼ものである『ラパスー血族の王国』は、本誌を読んでから原書を注文したほどおススメのマンガですね。

 ぜひ第二号も成功していただき、日本にフランスをはじめとしたユーロマンガの息吹を紹介していただきたいと思います。

 詳しいことは以下に、『ユーロマンガ』のサイトがあるのでご覧下さい。非常に洗練された物語群で驚くことでしょう。


 http://www.euromanga.jp/category/news

 それと小田切さんの報告はTokyopop関連の話題(詳細はここを参照)がよく理解できずに、結局わかったのが飲み会のときだったのが少し残念。ただ夏目房之介さんたちでしたか、この人たちが日本の著作権とアメリカの著作権事情とをストレートにひきつけて、なおかつ著作権を基礎的なものとしてとらえていることに少々驚いたなあ。なぜなら著作権は別に基本的人権でもなんでもないもので「基礎的」なものとはいえない、と僕は思ってましたから。なんか体温違うな。


 それに対して面白かったのが、小野耕正先生の放言かな。「(マンガの国際化の文脈で)日本のマンガがほろんでも別に困らない」と何度もいってたこと。確かに、いまやいろんな国々のマンガが相互に影響を深め合っていくなかで、ナショナルなカラーは次第に(完全になくならないけど)消滅していき、複雑な相互作用の中からまた新しい作品が生まれてくるのでしょう。そういった文脈での話と僕はとらえました。これはコウェンの「創造的破壊」の話と親和的ですね。つまりグローバリーゼーションによって「文化間の多様性」がある程度「破壊」されることで、「社会内部の多様性」が「創造」される。前者の損失を補って余りある文化の「創造的破壊」が出現する、ということです。日本のマンガという文化の多様性は破壊されるかもしれないけれども、マンガを享受する各社会内部の多様性が促進される、その中で日本のマンガも滅亡しつつ栄える、というわけでしょう。


 あと小田切さんの話では、このブログでも予習のためにとりあげたいくつかのアンソロジーの紹介がありました。帰りに貸して頂いたのですが、僕が未見のもので興味を魅かれたのが、東南アジアの作家たちのアンソロジー(とても洗練されている)、とアーティスティックは作品集の二点。どれもいまのアメコミの水準を示して余りあるものですね。マンガの影響もその他の文化圏の影響も混在していますが、どれも日本「語」で読める作品群とは一味以上違うすぐれたものですね。世界は広い!

Liquid City 1

Liquid City 1

もう一冊は日本のアマゾンでは無理か。

http://www.amazon.com/Meathaus-S-O-S-James-Jean/dp/098009240X

円高論者は日本経済を潰すのか?

 年末にこのエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20081224#p1で以下のようなことを書きました。

 報道などでは円高によってホンダやトヨタなどの自動車産業は大幅な赤字を経常し、非正規雇用の「雇い止め」などリストラも大胆にすすんでいる。経営陣の発言では過去に類をみない危機的状況だという。80円台後半までつけている円高が、日本の代表的産業を苦境に立たせているのに、なんで国力があがり、円高が望ましいのか、まったくわからない。円高が企業を淘汰し、過当競争をふせいで、経済効率をあげる、という見かたがある(これを清算主義と呼ぶ)が、この自動車産業の例をみてもわかるように、超優良企業が、その国際的に定評のあるすぐれた技術や販売力で評価されずに、予期せざる為替レートの変動だけで窮地に追い込まれるとしたら、いったい何を理由に淘汰がいいというのだろうか? この種の清算主義は、不況に直面したときにしばしば世上で話題になる皮相な考えである。

 これをより経済学的なロジックで説明してあるのが、岡田靖さんのコラムです。
 円高イコール交易条件改善は事実でない、輸出産業の受けた被害

 岡田さんは以下のように書いています。

だが、円高メリットの正体である交易条件を見ると、驚くことに0.4%しか上昇していないのである。つまりこの間の円高は、旅行者や輸入者には大きなメリットをもたらしたが、国民経済全体ではなんの利益をもたらしてはいないのである。それどころか、40%の円高によって輸出産業は壊滅的と言っても過言ではない打撃を受けつつある。鉱工業生産が前年比30%の減少を続けているが、輸出金額も同様に30%以上の減少を続けているのだ。こうして、日本の最も優れた生産性を有する産業が大きな打撃を受けることは、日本全体の生産性の低下、要するに日本人の生活水準の低下を引き起こすことになるのである。

 岡田さんの論説は非常にわかりやすいですね。ところで円高論者(いままでの円安が異常であり、「強い円」こそ望ましい)としては、最近は、『世界』2月号に寄稿していた齋藤誠氏が思い当たります。もちろんそれ以外にも無数にいるのですが…orz。

インフレターゲット採用への第一歩

 フィナンシャル・タイムズは、FOMCが事実上のインフレターゲットを採用したという署名記事http://www.ft.com/cms/s/0/8c3e8044-fe24-11dd-932e-000077b07658.htmlを書いていますが、これはあくまでもメンバー個々が抱いている物価安定と最大雇用を達成するというミッションと矛盾しない、長期的なインフレ率は何%かを提示したものでしょう。そのため記事にもありますが、公式のインフレターゲットは政策決定メンバー全員の合意ですが、今回はあくまで個々のメンバーの望ましさの範囲を示したものでしかありません。そのためメンバーが変わったり、またメンバーの望ましさの基準が変われば変化してしまうものでしょう。


 日本銀行も類似のものを公表しているのはよく知られていることでしょう。この日本銀行の「工夫」は、当時、日銀の宣伝部隊によって「インタゲを超えるもの」として喧伝された経緯がありました*1


 ところが今回は、バーナンキ議長の発言、またはインタゲをめぐる電話協議の報道などを勘案すると、これは公的なインフレ目標導入のための重要な布石ではないかと思います。つまり個々のメンバーの見通しを提示することで「インタゲを超えた」と言い張るどこかの責任回避が得意な厨銀と異なり、デフレと高すぎるインフレの回避にちゃんとコミットする中央銀行の総意としての公的なインフレターゲット導入のための布石とみていいでしょう。

FRBのソース)http://www.federalreserve.gov/newsevents/press/monetary/20090218a.htm

*1:実際に当時の日銀総裁はこれがインタゲであることを否定していたと記憶する。また日本銀行はこれは単に委員の個人的な見通しとしか見做しておらず、その個々の見通しを集約して、それを政策運営に結び付ける努力はしていない