20日に配信されるシノドスのメールマガジンで宇野常寛、荻上チキさんらと対談した。昨日はその最終校正をしていてこの対談はかなり面白いものだな、と興味深く読んだ。この三人の対談をするために、僕は『コードギアス』を全編見たのは過去エントリーで書いたことがあるので読者の方々はわかっているだろう。しかし不思議と『コードギアス』の話題はほとんど座談会では話題にあがらなかった。なぜかはこの本が出てしったわけだがw。要するに橋本努、荻上チキ・宇野常寛対談でネタを消尽しつくしたというわけであるw。まあ、僕と橋本さんではその経済学の立ち位置がまったく逆転しているわけだがw
それはさておき、本書は僕のように『コードギアス』を純粋に楽しむのと同時に思想ぽく掘り下げたい人に最適な作りになっている。一番、同意しつつ面白い発言は、谷口悟朗氏のものだ。
「結局最初の『ガンダム』でああいう「リアル」なロボットアニメを作って以降、なんだかよくわからない理屈や、深そうな哲学がありそうなことをいろいろ言うような人が増えてきて、アニメファンや一部の人たちは騙されていくわけですよ。ややもすると「テーマ主義ありき」みたいな発想になってしまうんですよね。略 そういった設定主義やテーマ主義に騙された状態にいると、アニメの主人公像というのは、どうしても哲学的な何かを持っていたりとか、もしくはご立派なお題目がなけりゃいけなかったりとか、そういったところに振り回されちゃうと思うんですよね。」(179頁)。
僕も簡単にいうと『コードギアス』は、『ガンダム』的な「物語のダイナミズム」(宇野「コードギアスのハイブリッド性」本書所収)の復権ともいえる作品なのかもしれないが、谷口氏の指摘するように、それゆえにこの作品に「設定主義やテーマ主義」、時代を反映した何か大きな(小さくてもいいがw)テーマを読みこむのはうたかたの娯楽性としてそのテーマを楽しむなら別だが、まじめに社会評論と接続したら、場合によったらただのトンデモ議論になることもあると思う。
ところで本書で一番面白かったのは前半の「ゆるコミ!」や「ある腐女子の手記」などのコラム、それに何人かのライターが工夫と気のきいた洞察を織り込んだ各話エピソードの概説である。ここは読んでいてなるほど、と思うところもあり、テーマ主義的なものにひっぱられずに楽しむことができる。テーマ主義的な色彩の強い後半と対照的である。
ところで占領した後の、日本の皇居とか天皇制はどうなったのだろうか? スメラギカグヤ(皇 神楽耶)などの存在に暗示されているだけであったり、アシュフォード学園が皇居の位置にある(たぶん)などという考察があってもよさそうに思うのだが。リアルポリティックスを読みこむ論者もいるがその考察は欠かせないと思うのだが、どうだろうか。

- 作者: 中川大地
- 出版社/メーカー: 樹想社
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