1は2や3より小さい 笑(未来の経済学の数行めぐる解説)


 たった1行か2行読んだだけの唖然とするような誤解だらけの書評を書いた人がまた何か書いてます。正直、掲示板みて、「なんでまたその人と僕が関連づけられるのか不思議?」と思いましたが。苦笑。まあ、ここご覧の多くの人には関心ないし、なに田中かいてるのか意味不明でしょうけれども。しばしおつきあいください 笑

つまんない話のわりには長いので続く仕様に



(付記)考えてみたら以下でもわかるように、今回もまたもやたった数行の問題なわけですが。苦笑。事実上たった一単語の「少数派」(下にも書いたように原論文Only a small proportion of them do purely theoretical workでも僕でも単純な事実としての指摘。1は2や3にくらべて数は少ない)という文言を異常なほど拡大解釈して、なんか僕が学会動向に無知な人に仕立て上げられてます 笑。まあ、冷静にみればそれだけの話なんでそういう拡大解釈がなにゆえに起きたのか、その書き手の心理状況に依存するんではないでしょうかね? それとやはり自分のこと揶揄されたと自意識過剰に反応されたわけなんですかね。違いますが 笑 正直いってここでもリンクしないほど僕には価値のないブログ(留学経験のある知人に聞いたり学会や研究会の休み時間に聞ける程度のオチ中心)なんでふだん見てもないし、意識してもないんだよね。だから某掲示板でやたら関連付けられるのが本当に不思議で不思議で。一般論として、僕なんかに粘着してなんか得することあるんですかねえ? ないと思いますがw(付記終り)


ところで今日の「未来の経済学」ですが、僕の以下の発言


: 日本ではなんか人気有り気に喧伝??されている産業組織論、ゲーム理論、契約理論、ファイナンスは少数派みたいですね。そもそも日本のネットでは「マクロ経済学というものはない以上」という大胆な人がブームを起こし(笑)、それに呼応したかのような日本銀行出身・IMFエコノミストの加藤涼氏の『現代マクロ経済学講義』にも「マクロ経済学というものはない」観が展開されてましたが、そんなないはずの分野の研究を米国の若手が一番取り組んでいる、と表明しているわけなんですね。おかしいですね(笑)。:


 がご不満なようです。以下は経済学を知らなくても常識でわかるので読んでみてください。

1 「少数派」という言葉が気に食わないようですが、でもマクロ経済学計量経済学労働経済学の3つが86名の研究者を集め、対して産業組織論、ゲーム理論、契約理論、ファイナンスが4つあわせても43ですから、多数に対して少数ですが、いったいこれの何がご不満なんでしょうか? 別な観点から「少数派」にも理ありとして意義を見出されるのは勝手ですが、それは僕の意見を否定することでもないし、また関係もないことでしょうね。43が86よりも多数になるならば僕の間違いです。そうならなければどうということもない論点でしょう。


2 それと論文ではトップ10大学の経済学部での話を扱っていてそこでの人気(専門として選ばれてる度合い)を議論しているわけです。当然、僕が人気がない、というのはこのサンプル数の中での話なわけです。ビジネススクールを持ち出されれて、それがより面白い話になるかもしれないのはわかりますよ。でもね、いまやっているのはトップ10の経済学部における若手研究者の性向を分析する話ですので、簡単にいえば分析対象が違いますから例えば「日本の桜の研究」をやってるものに、「アメリカの桜をみないやつは日本の桜について語っちゃだめ」という理屈は通らないと思いますよ。

(付記)へんな指摘をみたけれども、僕も上に書いてあるように別にビジネススクールを持ち出すのは面白い話だよね、とは思うのだが(なぜか僕のこの点への言及を無視されている指摘をみた)、件のブログは(本来は原論文の著者たちの主張であるのだが 笑)僕がこのトップ10の経済学部しかみないことは学会動向に無知である、という傍証に利用している。生産的な議論なんかどうでもよく、まさに「語っちゃだめ」という論証である。つうかこんなごちゃごちゃしていると傍からはどうでもよくね? そもそも「少数派」も「トップ10に絞ってる」のも僕ではなく、本来の原著者なわけで、それをふっとばして、田中の学会無知というシナリオつくってるんだから 笑。傍の人はこんな両者のうんこの投げあい読むよりも(自分でいってるがw)、原論文読んだ方が相当ましだと思うよ。

 まあ、こういうウンコの投げ合いはネットの鼻、いや華だから、みんな楽しんだんじゃないのかな? まったくいい、ボランティア精神の発露で自分に感動しました 笑


3 ツールとしてゲーム理論や契約理論を例えばマクロ経済学を専門とCVに書いている人が使っててもなんの不思議でもないでしょう。僕のブログの読者であればつい昨日も開発経済学ではゲーム理論が道具として重視されている、と僕が言及したし参考文献もあげてることからも、僕がツールとしての件の分野の有用性を認識していることは明瞭ですよね 笑 

 ですのでツールとしての有用性の認知とは違う次元で、「ゲーム理論や契約理論が人気がない」=純理論研究としてない、といっているということですが? それともまたもたすごい想像力で 笑 僕がいまの経済学でゲーム理論や契約理論がツールとして使われていないと信じていてこのブログでもそのような妄想を影響力を行使して(大笑い)デンパしているとでもいうのでしょうか? いま書きましたが演習書ガイドでも言及しているように違いますよね? やってることは想像力たくましい人のいってることとまったく逆です。


というわけで1から3みてもなんでこれが批判の対象になるやら、経済学の動向の理解の高低よりも単なる日本語の読解の問題にしか思えないんですよね。ちなみに掲示板みるとその想像力たくましい人を揶揄してと思われたようですが、僕が揶揄したのはエントリーの後半にわざわざ経済学史の本をあげたように、まさに経済学史学会の年報の現代経済学展望のコーナーを揶揄してのものだったんですが! 笑。


4 加藤氏のマクロ経済学理解ならばむしろ「応用ミクロ」(今回の論文中にあります)にいれるべきでありますねえ。ちょっとご本人の本は群馬にあっていま手元にないので彼が正確になんといったかいまはわかりませんが。

(付記)知人に当該箇所を送ってもらった。ありがとう!
加藤氏曰く「、現代のマクロ経済学の学界における位置付けに関して本書の立場をあらかじめ明らかにしておきたい。「現代マクロ経済学とは、すなわちDSGEモデル体系である」と言い切った前節の内容と一見矛盾するようではあるが、結論からいうと現在の学界においてマクロ経済学という学問分野は事実上存在していない。」

 もちろん「現代マクロ経済学とは、すなわちDSGEモデル体系である」は、僕であるならば「現代マクロ経済学とは、すなわちDSGEモデル体系を中心とした学問分野である」といいかえるでしょう。この加藤命題と田中の言い換えの対立はあると思います(1の論点)。そのことと、加藤氏が「現在の学界においてマクロ経済学という学問分野は事実上存在していない」といい切ってしまうのは明らかに行き過ぎで、もし事実上存在しないならばやはりこの調査でも「マクロ経済学」という学問分野があることと事実の上で矛盾します(2の論点)。さらに上記引用の続きをみれば、加藤氏が彼の定義する「現代マクロ経済学」を「応用ミクロ」とほぼ等しいとみていることも確かでしょう。ですので加藤マクロ観が「現代マクロ経済学とは、すなわちDSGEモデル体系である」とし、なおかつ「現在の学界においてマクロ経済学という学問分野は事実上存在していない」ならば彼の趣旨を真にうけるならば、マクロ経済学よりも応用ミクロがおさまりのつく「学問分野」だろう、と(加藤氏を揶揄して)いっているわけです。


 ところでこれは「未来の経済学」エントリーには関係なく、いま持ち出す論点ですが、加藤氏の本は過度な言い切りが心よい反面、不透明性をもたらしているところがあると思います。僕の言い換え「現代マクロ経済学とは、すなわちDSGEモデル体系を中心とした学問分野である」の方が、実は加藤氏自身の本の特徴ともなっています。加藤氏自身の「現代マクロ経済学とは、すなわちDSGEモデル体系である」はあまりにも言いすぎなためにかえって不透明な部分を残してしまいます。不透明な部分とは、加藤氏の本でも、いわゆるドマクロ実証やハイブリッド型で参照されるようなドマクロの一大コーパスをDSGEモデル体系に組み込んだり参照する形で利用しているからです(もちろんそれがいまの最先端マクロの事実であることを僕は否定しているのではないことを注意。論点は加藤氏の過度な言い切り命題だとこの事実が不透明な位置づけになることが問題)。このドマクロコーパスの利用があるかぎり、「現代マクロ経済学とは、すなわちDSGEモデル体系である」と言い切ることもできないでしょうし(だから僕の言い換えの方がいいと思う)、またドマクロコーパスの利用が実践面でも理論・実証面でも最先端で話題になる限り、「マクロ経済学」という固有の学問分野の存在を(加藤氏の発言のように)事実上否定することもできないでしょう。


5 あと日本の一般読者も知識人もアメリカに「経済学史」や「マルクス経済学」を専攻としている研究者がいなくてもあたりまえと思うんじゃないかなあ。というかそういうのに関心がないというのが正しいかな。それで別にいいと思うし、この無知や無関心がなにか大きな問題なのかなあ? あえて宣伝しなくてもいいでしょう。別に両者が人気皆無であることが、その学問の本質に関わるかどうかは別問題だから。


 でも、もちろんこのブログの読者はよ〜く知っているように、いまの日本のマルクス経済学、経済学史の在り方に対する根本的(笑)挑戦者としての僕がいるわけで、むしろアメリカではアカデミズムの場に、事実上後者がないことはこれ幸いと思っているのが僕なんだがw 経済学史に関しては別に経済学部になくてもいいと素朴におもってるのよ。これもこのブログの読者はよ〜〜くご存知でしょう。なんといってもそれで反感もたれて遅刻しただけなのに公衆の面前(ブログw)で痛罵されたこともあるぐらいだから 大笑。