書評『誘拐逃避行』(河合香織、新潮社)


 ナボコフの『ロリータ』にこんな一節がある。
「“魅惑的にして狡猾な子”、遠くを見るような目に、つやつやした唇、じろじろ見つめていることが悟られるだけでも懲役10年の小悪魔を目にしたとき、どれほど彼の心臓は激しく脈打ったことか」(若島正訳、新潮社)。   
前作『セックスボランティア』で障害者の性愛を衝撃的に描いた著者が、今回取り組んだのは10歳の少女に魅せられた47歳の中年男の破滅の物語である。


 物語の前半は、この少女が両親を失い、預けられた家庭で虐待をうけ、この見ず知らずの男が逃げ場となっていく話が中心になる。福祉の谷間や警察のおざなりな対応を指摘する視点はするどい。
やがてこの男は少女の「魅惑」と「狡猾」に翻弄され、少女の歓心を買うために職や住まいをも失っていく。物語の後半は、ふたりが沖縄にあたかも少女の主導で「逃避行」していく様が描かれている。しかしこの二人の「逃避行」は周囲からみれば「誘拐」であり、またこの男が少女に性的行為に及んでいたことで、男への断罪へと、ルポルタージュの記述は一気に転換する。


 著者は明らかに『ロリータ』を意識しているにちがいない。ロシアからの亡命作家ナボコフは。使い慣れない「英語という言語との情事」を愉しんだ、とその秘めた動機を後に書いた。それに対してやはり本書ではジャーナリストであるのか、ナボコフのような陰画的な距離感の喪失とでもいうものはない。小説とルポとはその書かれている対象との距離のとり方が違うのは当然だ、というのが普通の見解だろう。しかし「誘拐」と「逃避行」の狭間にあっただろうものが、事実の積み重ねだけでどこまで迫れたのか。本書はルポルタージュのもつ限界をわれわれに問いかけている。

ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)