大学は建物ではない伝説リターンズ


 いま書いてる本からの落ち葉拾い。

 以前に話題になったシュムペーターがいったとされる「大学は建物ではない」伝説。この話が一橋の中で説得力を持った知的土壌がシュムペーターの来日以前からあったのではないか。というのがこのエントリーの御題です。


参考ブログ(一橋大学図書館さんもコメントを寄せてますね)

http://hicksian.cocolog-nifty.com/irregular_economist/2006/10/post_0f59.html


 それは一橋大学の経済学の祖といえる福田徳三が書いた「大学とは何ぞや」(明治40年)というエッセイ(同題名のものが福田の全集にあるがそれとは違う。同じ趣旨のことは書いている)。そこで大学になくてもいいものとして、建物はなくても差し支えなし、運動場もなくてよし、おそろいの帽子につける「メンコ」形の金片もなくてよろし、御役人もいなくて差し支えなし、と以上4つのものをあげている。


 そして福田は大学は施設ではない、と他の大学論(全集収録の「大学とは何ぞや」「大学の本義と其の自由」など)でも再三明言していたのである。大学は施設ではなく、そこで研究する学者と学んでいる学生が核である、と。それ以外は二次的なもの以下であると。


 シュムペーターが来日した昭和6年はちょうど福田が亡くなって一年後。福田の教え子たちやその影響を受けたものたちがまだ一橋には大勢いたでしょう。福田は大学論をいくつも書いていたし、それを講演してもいた。シュムペーターの発言が期せずして失われた日本の巨匠や恩師の思い出につながるとしたら……「大学は建物ではない」が伝説として根付く知的な土壌に加えて、一橋の人々に感情的な面でもシュムペーターの発言に共感できるものがあったのかもしれない(そう考えるとこの伝説はさらに真実味を増す)。


 なおシュムペーターは(福田の弟子でもあり自身の弟子でもあった)中山伊知郎にクールノー、ゴッセン、ワルラスの三人を読むようにといった(福田の)指導法を、驚きの念をこめて評価したという。