「リフレ派」は正しい便器の使用法を喧伝す 


 さてbewaadさんのお尻の拭き方論争というものがありました。ご存知でしょうか? あ、知らない。そら、すんまそ。ここ


 以下はこの手の話題がお嫌いな老若男女は絶対読んではいけません。念為。あ、食事しながらみてもいけませんw



 で、お尻の拭き方はこれは便器の使用法と密接な関係があるのは容易に想像がつくと思います。bewaadさんの事件の際にもちょっと私も言及しましたが、日本で最初に洋式トイレを導入したのはかの日本銀行でございます。デフレ下におけるインフレターゲット政策を前例がない、と(本当は前例はあるんですがw)否定してきた現在の日銀と比較するのもバカらしいくらい、過去の日銀は日本のイノヴェーションを実行する機関でありました(w


 しかし先駆者として利用法の周知徹底にコミットすべきであった日銀の政策の失敗もあり、下々の生活にはこの洋式トイレ利用の普及は困難を極めました。そして事態は昭和恐慌が勃発した20年代から30年代初めにかけてまさに危機的な状況に達してしまいました。


 人はこれを「洋式トイレの不潔の痕跡」「腰掛便器の不思議な汚れ」と恐れオノノキますた。


この危機的な状況の前に、ついにリフレ派の牙城たる石橋湛山社主を擁する東洋経済新報社は、うんちの落とし方の政策レジーム転換を図るために画期的な冊子を発行しました。時に昭和6年7月24日。世の中は昭和恐慌の真っ只中、世情騒然たる中で、まず本家の政策レジーム転換の前に、便器の政策レジーム転換が行われたのです。


以下はその歴史的文書からの一節です。


腰掛便器の使用法に就いて

 一階二階及び五階の便所の腰掛便器(大便所)がしばしば不思議な汚れ方をしているのを発見します。察するに誰かこの便器の使用法を誤っているのだと思われます。しかし外の事とは違い、誰が間違っているのかと一々尋ね歩くことも、またその使用法を伝授して回ることも憚られるから、ここにこれを記して諸君に見ていただき、間違っていた人は、今後お直しを願います。


 この便所は瀬戸の便器の上に丸いアナのあいた板があるが、この上に、便所の入り口の方を向いて腰かけるのです(強調は原文ママ)。日本の普通の便所流に、奥の方を向いて用を足そうとすると、第一に非常に困難であるばかりではなく、トンデモもない汚し方をするのです。ゆえに便所に入ったらば、まず「廻れ右」をし、そして腰を掛ける。これが必要です。


 次にその腰の掛け方は、まるいアナの上にお尻を姿勢正しくのせ、大小便が板の縁にかからぬように位置を注意し、而して後徐ろに用を足すこと。あわてることは大禁物です。


 用を足し終わったならば、鎖を引いて水を流すこと、若し一度で汚物が流れ切らなかったら、二度でも三度でも流れ切るまで水を出すこと、ゆえに用便後、丸いアナのある板の上に、さらにもう一枚つけてあるフタはせぬほうがよろしい。フタをすると、汚物が十分に流れ切ったかどうかわからぬことになります。


 右のごとく注意しても、なお間違って板を汚すこともないではありません。左様の場合には紙にて十分に拭い、不潔の痕跡のなきようにして下さい。


 紙は必ずしも備え付けの巻紙ではくとも普通のチリ紙を用いて差し支えありません。ただ新聞紙そのほかの西洋紙や、厚い日本紙、布切れなどは絶対にいけません。おフランスの便器は、赤ん坊の頭の通るだけ、トラップのアナ(水の溜まっているところのアナ)が大きくできているとかいうことですが、残念ながら他の国ではそんな便器は手に入りません。そこで赤ん坊の頭どころか、少し大きい綿クズを入れてもたちまち詰まってしまいます。詰まったら、それこそ大変。あの便器の中に腕を差し込んで詰まった物を抜き出さねばなりません。


 右のごとくいうと、この便器は非常に窮屈のようですが、たがいに注意し清潔に保ち、だんだん使ってごらんなさい。その便利にして気持ち好き、後には日本便所に入るのがかならずイヤになります」(『東洋経済社内報』第一号巻頭)


 日銀の洋式便器利用法の普及失敗から数十年、ついにわれらが湛山率いる東洋経済こそが、日本の洋式便器の正しい政策レジーム転換をはかったのであります。今日、この(リフレ派の)マニュアルの通りにみんな回れ右して入り口をみながらう〜んとうなっていることは周知のことでありましょう*1

*1:数年前に資料提供をいただいた某氏にあらためて感謝いたします。なお引用文は適宜現代風に表記を改めました