沢木耕太郎『危機の宰相』


 すでに多くの好意的な書評がでているのでいまさらだが、もつと早く読んでおくべきだった一冊。沢木氏の本は80年代に非常に熱意をもって読んでいたが、久しぶりに耽読。こおういうのが本当の経済学小説とでもいうのでしょうね。

危機の宰相

危機の宰相

 前半は池田元首相のエピソードに引き込まれたが、全体的にはやはり下村治と彼の「理論」に対する多くの論争の評価を興味深く読みました。下村「理論」はハロッド・ドーマーの成長理論に大きく依拠したものという印象。投資の需要創出効果と生産力効果をとらえ、投資は民間の設備投資が主動因となすもの。高度成長期のさまざまな「悲観派」、その典型としての都留重人笠信太郎、そして「二重構造」論者などのような日本は高成長しようにも逃れられない「宿命」=非近代化の要素を引きずっていると考える人たちとのコントラストを、沢木氏は鮮明に書いていて面白い。


以下は『危機の宰相』で引用さえれている下村の『日本経済は成長する』(1963)の引用


「われわれはあまりにも長い間、後進国的な状況にとどまりすぎたようである。そのために、二重構造とか、所得格差とか低賃金とか、要するに、日本経済の貧しさや後進性が、われわれ自身の宿命的な属性であるかのように、あまりにも諦観されすぎたようである。つい最近まで、日本経済の成長力について、執拗な疑問が述べられてきた。経済成長が二重構造と不可分であり、所得格差は経済成長とともに拡大するほかないという迷信が、いかに広く信奉されてきたか。しかし、日本は、あひるの子ではなかったようである」。



 この引用の「後進国的状況」を「デフレ不況の状況」に読み替えてしまうのですが。


ところで下村はマルクス主義的な金の存在量に拘束された資本主義のあり方(景気変動は自動的であり、資本主義に未来は暗い)を批判し、管理通貨体制での資本主義経済の成長性と政策余地について明言しましたが、70年代以降の低成長期ではゼロ成長論を採用して、そこでいわゆる重厚長大産業中心の成長から環境や生活水準の充実をとく立場にかわりましたが、その視座はやはり金に拘束された体系をとるマルクス主義の資本主義観とは対立した終始「楽観」的なもののように思えました。


 今年読んだ本の中でも屈指の作品ですね。万人におすすめ。最後の三島由紀夫からの引用「世界の静かな中心であれ」はいい引用の仕方ですね。