橋下徹氏の「改革」検証:「「小泉改革」第二幕の幕開けか」(宮崎哲弥&萱野稔人&飯田泰之)in『Voice』5月号

 ネットなどで橋下氏についての批判的な言辞が多い。しかし彼が何をしてきたのか、そして何をしようとするのかを、客観的な観点から分析したり、また発言している人はほとんどいない。やはり紙媒体に依存しなくてはいけない状況だ(ネットが橋下政策の検証ではあまりにもダメすぎる)。

 この『Voice』では、正直、萱野氏は特に僕の関心である経済問題についてはほとんど言っていることが理解できなかった。なので主に宮崎さんと飯田さんのふたりの発言をもとにして、橋下氏の目指す方向がおぼろげに分かった。

1 「維新八策」自体は相互に矛盾する、まだ粗いラフスケッチであり、民主党のようなマニフェストではなく、あくまで政党の綱領を目指すもの。しかもこの対談の資料として付された「維新八策」自体が編集部調べ(笑)であることがすでにこれが粗いたたき台でしかないことを意味している。

2 橋下氏の手法はポピュリズムか? 宮崎さんは映画の『ボブ★ロバーツ』を持ち出して、むしろ批判する側の対抗戦略が、賛同者だけではなく、ポピュリズムを肥大化させていると、僕からみると正しい指摘をしている。また飯田さんは「それほど独裁的なにおいを感じません。むしろ「勝てそうなところから喧嘩する」といった現実的な手法を採っている印象です」といっている。これは正しい認識だろう。ただそれが最近は池田信夫とか辻元まで落ちてきたのかという素朴な疑問はあるw。

3 経済政策はまだ相互に矛盾や整合性のつめの甘さ。ベーシックインカムとフラットタックスの矛盾。年金制度の改変とベーシックインカムとの整合性の問題など。ただしこれも1で書いたように、粗いたたき台にしかすぎないのでいま深刻な矛盾に直面しているわけではないのだろう。

4 宮崎さんは橋下氏の主張を整合性よりも「一生涯使い切り型人生モデル」を前提にしているという。それに対して飯田さんは、そのモデルだと税収が減る可能性もある(子供や孫に残さず生きてる間に使うだけ使うなど)。

5 飯田さんの橋下氏の国家観イメージの「集権主義的なリバタリアン」というのは実際にはよくわからないw つまりはある程度のセーフティネットの構築と競争市場の共存という、そのままだとただの懐かしきw「混合経済」論者ということになるがw

こう書いてくると、要するに、まだ何も核になるものがない、という印象を強くする。ただ単に世論は、そのポピュリズム的なイメージで、あるときは「改革者」としてほめ、あるときは「独裁者」として揚げ足をとる、ということに終始している段階で、その責任は、橋下氏の政策の空洞に求められるのかもしれない。この空洞化に何をつめるのか、多くの元官僚や政策のプロが集合しているようなので、ブレーン間競争によってその政策像が具体化していけば面白いように思える。

武長脩行『「友だちいない」は“恥ずかしい”のか』

 武長氏の専門領域は公共経済学とのことだが、僕は分野も違うので存じあげない方である。本書は経済学にはほとんど関係がない。また若者論のようでいながらも、話は「いまの若者は」というよりももっと一般論に近い切り口であり、断定的な物言いや説教的なものではない。

 「孤独力」と著者が名づけるものは、自分と語り合うこと(自己内対話)の重要性である。人は完全な孤独にはなれない。なぜなら自分の中に「もうひとりの自分」がいるからだ。その自己内対話を通じて、自分のことを愛する自己愛の重要性を知ることが強調されている。またこの自己内対話は、自分の真価を冷静にみつめることで、自分と他者との違いを意識化することで、コミュニケーションの基礎にもなると説く。

「その意味で、孤独力はコミュニケーションと対立するものではなく、その土台、基礎になるものです。ひとりになって自己反省や自己内対話をしながら、相手のことを考え、自分との違いを顧みていく。さらに集団のなかでのコミュニケーションになってくると、全員の理解や納得をすぎに得られないことを前提に、みんなの意見をうまくひきだしていくことが大切になります」(121-2頁)。

 たぶん何人かの読者は、著者のあげた例示が好きにはならないだろう。だがなぜ自分はその例示が気に入らないのか(まれには気に入るのか)少し自己内対話をしてみるのもいいかもしれない。僕にはそんな些細なところで揚げ足をとるよりも、本書の視点―孤独こそ人としての生活の基礎ーというメッセージにとても魅かれた。

 その昔、大学院生時代にある尊敬すべき先生が、「孤独に慣れろ」と院生たちにアドバイスしていた。その意味は上に書いたような自己内対話をして、自分の洞察を磨き、またその洞察に基礎づけられた、人間関係を築けということだったのかもしれない。

 好著とは言い切れないが、これから「孤独に慣れろ」という意味をさらに考えたいのでこの一書は参考になった。

(参考)拙著『不謹慎な経済学』第2章「人間関係が希薄化したのは、みんなが望んだからだ」

「友だちいない」は“恥ずかしい”のか (平凡社新書)

「友だちいない」は“恥ずかしい”のか (平凡社新書)

不謹慎な経済学 (講談社BIZ)

不謹慎な経済学 (講談社BIZ)