松尾匡はだか祭り実施中。あと若林ネタ

 マルクス経済学のドン・キホーテの戦慄すべき書がネット界で超話題の的に。山形浩生氏のいつもどおりの口の悪さが話題をよんだのか、はたまたいま大復活中のマルクスの亡霊のなせるわざか? ともかく一読してみて自分で判断するのが一番かとも思う。

「はだかの王様」の経済学

「はだかの王様」の経済学

なお以下の写真は本文と一切関係ありません*1


 ところで話題は変わるが、文化系女子(広義に経済系も含めてみる)の問題として注目しているのが、わが国では80年代から文化系女子がトレーダー、株式評論家、ファイナンスなんとか、株アイドルなどと称して、ネットを中心に活躍しているのが目に付くことである。他方でマクロ経済を語る文化系女子は現在事実上不在である。それがどうした、という意見もあろうが、単に我輩が淋しいのである。爆。このお金系女子の繁殖と、マクロ系女子の死滅は非常に興味深い現象である。マクロ経済学にそもそもなにか女子を寄せ付けぬものがあるのか? いや北半球最高に綺麗なエコノミストがマクロ経済の専門家なのでそうとはいえないだろう*2。日本だけの独自な事情がありそうではある。そのうち勝間和代氏の銀行本も含めてそこらへんを検討したいものだと思う(いつか)。

 それはそれとして今日のネットや雑誌の広告でみた若林史江女史のブログでの記事「流用疑惑」に対しての、忙しいから知人に書いてもらってる旨のコメントには結構驚いた。いや、この間、ある人たち(証券系)と飲んだとき、なんでか僕は二回も「自分で書いているんですが?」と聞かれたのよ。それってこの手の業界の人にはあたりまえなのかな、外部委託って。

株式トレーダーが記事盗用か、日経配信と酷似する表現多数(gooニュースより)
http://news.goo.ne.jp/topstories/nation/20080617/c152e3ec7ea187cf6938d48ccf3ebb9a.html?fr=RSS

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%B8%E7%A5%AD%E3%82%8Aの写真より参照

*2:なお南半球は彼女だそうです。http://www.econ.brown.edu/fac/Nancy_Qian/ 業績の紹介は梶ピエールさんにお任せしますhttp://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20060314

戦慄すべき本だった件について

http://cruel.org/other/matsuo/matsuo.html

 実はまだ読んでないんだよなあ。笑。まあ、疎外論ぽい枠組みは、新古典派経済学を少し応用すればできる(もちろんそれはマルクス経済学の疎外論とは違う)し、また同様に新古典派経済学を利用してマルクス的ひがみ論とは違う次元でひがみ論を語ることができる。だから疎外やひがみ自体は経済学的にみても重要なテーマだと思う。

 ということを山形さんが一言でいうと次のようになるんだろうね。

疎外論とやらを勉強しても何の御利益もなさそうどころか、それでまたもやポル・ポトと同じ論理に陥るのでは何の甲斐もないじゃないか。それに、そこで言われていたようなことは、ゲーム理論ナッシュ均衡でおおむね説明できてしまうんなら――何の意味がある?:

 まあ、実際にはナッシュ交渉解なんだけども、このような新古典派経済学の枠組みを少し拡張して、疎外やひがみを説明して、そこでマルクスケインズ新古典派までひっくるめて説明してしまえ、という試みは日本でも古くからあった。それが僕もしばしば言及している辻村江太郎氏らの業績で、これは簡単な説明がecon-economeさんのこのエントリーにもある。実際には下みたいな図表を書いて議論していくもの(econ-economeさんから拝借。スマソ)。

econ-economeさんが松尾さんの貢献に一貫して好意的なのは、この辻村理論への親近感で説明できるんじゃないだろうか。ただしもちろん松尾マルクス理論とは疎外の意味もひがみの意味もかなり違うけれども。山形さんの書評から借りれば、辻村理論には「本質」も「本来の姿」も関係ないもの。だからそういったものに依存していると思われる松尾理論とそれに依存していない辻村理論はやはり違う。やはり○系と新古典派の違いが最終的には効きまくり。僕も辻村理論は好きなんだけどもそれゆえに松尾さんの業績(例の奨励賞を受賞した草稿や、共著での反経済学論文など)への否定的なニュアンスの発言になってしまう(前者は松尾さんへのメールで表明、後者はどこかのブログで書いたおぼえが‥‥どこだっけ? 笑)。econ-economeさんの評価は松尾さんの議論を辻村理論の視角からみるかぎり甘すぎると思う。ただここらへんの評価の別れ具合も個人的には面白いと思う。ちなみに辻村理論を応用して90年代の終りに論文(福田徳三論)も書いているんだよね 笑。詳細は僕の福田論がそろそろ完成するのでそれを待っていただくということで 笑

はじめての経済学

はじめての経済学

 それとアソシエーション論についてはこれも反経済学ネタとして僕は長いこと愛好してまして、モンドラゴン批判の文脈で、以前、『日本型サラリーマンは復活する』で1章割いて書いた。その批判の観点を簡単にいうと、モンドラゴン(アソシエーションの一種)ではみんな共通の理念のもとでわいわい頑張ってやっているようにみえても、それはスペインのマクロ経済状況がすごい酷くて、実はモンドラゴンもそんな誉めたほど素晴しくはないんだけれども、ゼロよりも稼げるだけまし、だからみんな我慢してやっていくしかないわけ。逃げ場がないので組織改革に励まざるをえない状況。

 奥村宏氏なんか日本の法人資本主義を批判して、佐高信氏なみに「社畜」ぽいこといいながら、他方でアソシエーションやモンドラゴンを褒め称えたけれども、実は内実をみればその「社畜」成立のロジックと大してかわらないんだよね。詳しくは拙著を読んでもらいたいんだけど、あけすけな言葉を書くと地域社会のマクロ的窮状をむしろ利用して存立しているあこぎな組織にしか思えなかったんだよね。そんなあこぎ(?)な所業よりもマクロ的窮状を
どうにかするほうが、モンドラゴン(アソシエーション)100万個つくるよりもずっといいよね、というのが僕の結論。マクロ的状況がよくなれば窮状を利用してあこぎな(?)組織作りに励んでいたモンドラゴンもほかの企業とかわらないものになっちゃうんじゃないか、というのが僕の見方。これをやや今回の山形論説風にいうならば、人様の疎外感や本来の姿やらひがみやらをあこぎに利用したアソシエーションもマクロ的窮状につけこんだ新興宗教とかわらない、ということでしょう。その評価でいいでしょう。

だから稲葉さんもそうだと思うけれども(違ったらすまん)、まさにいまの最大の経済学的テーマ(少なくとも経済思想的テーマ)は「カルト」とか「ペテン」なんだよね。『蟹工船』ブームも根っこ同じ。

日本型サラリーマンは復活する (NHKブックス)

日本型サラリーマンは復活する (NHKブックス)