[話題]春日太一『市川崑と『犬神家の一族』』

 とても楽しみにしていた著作。その期待を裏切らない、市川崑映画の特質を明確に切り出した労作になっている。僕の世代からいえば、市川崑映画といえばやはり角川映画第一弾『犬神家の一族』から始まる金田一シリーズである。この作品の共通する特質は、本書にもあるように横溝的などろどろした土着の、日本的な因習を背景にした世界を、「解体」し、情を排してあくまでもスタイリッシュに再構成した点にある。その合理的な世界に非常に当時魅了された。春日氏の解説はこの点を明瞭な解説でまとめあげていて、素晴らしい。

「でも市川崑は、これまで述べてきたように「情」を解体したい監督です。ですから、そうした感情移入のポイントも解体してきました。「涙は要らない」「情緒は要らない」そういう考え方は変わりません。日本語の硬さをどうやれば西洋的なリズムで切り取れるかを重視していた。でも、言葉の段階で日本語を解体するのは難しかったから、今度は映像そのものも巻き込む形でやっていたわけです。映像を編集することを「鋏が入る」といいますけれども、市川崑はフィルムを編集する鋏によって、日本語も切っていくわけです。実は切っているのは映像だけではなく、同時に言葉も切っていた」

 この日本文化の体現であるような「情」や日本語自体を映像の合理性を追求する中で編集していくその視点は、非人情そもののである。かって萩原朔太郎が述べたような日本型の対抗文化の形ー非人情ーとして、「ミステリー映画の不可能性」(本書のヒッチコックの証言参照のこと)に挑戦していく。『犬神家の一族』などを最初に観た当時の僕は言葉にできなかったけど、その野心的な挑戦に魅かれていたのだなと思う。

市川崑と『犬神家の一族』 (新潮新書)

市川崑と『犬神家の一族』 (新潮新書)

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