東浩紀氏関連コメント


 上記の限定公開でのboxmanさんの感想(現在はここで読める)で、東氏の発言関連について簡単に思ったことをコメントしたのですが、はてなの皆さんに当該する東氏の発言とそれへの田中の感想コメントを下に。いままで頂いた拙著への感想はどれも参考になるものばかりでありがたいかぎりです。

(関連する東氏の発言)

そう。本当はぼくたちはこういうときこそ、著作権は「本来」どうあるべきか、という原理論を行うべきなのです。そして、結果として出てきた結論が実現可能かどうか、クリエイターが損をするか、消費者が損をするか、そんな話はとりあえず二次的なものとして横に措くべきなのです。その水準では、クリエイターのやる気が湧くかとか、コミケが潰れるかとか、そんな当事者トークはすべてどうでもいい。そういう抽象性が知性というものです。しかし、多くのひとは、そんな水準の議論がありうるというイメージすらできない。
(「著作権とか白田さんとか」、『東浩紀の渦状言論』、http://www.hirokiazuma.com/archives/000364.html


(田中の感想コメント)

「本来」どうあるべきか論=「原理論」というのは、東氏はより一段深い抽象といっているけれども、これは「べき論」としての価値規範の問題であって、とりあえず彼が二次的といっている実証的な話とはただ単に話題の次元が違うだけでどちらが深い浅いの問題ではないと思いますね。

その上で(深くても浅くても)この価値規範の問題は、一定の客観性がないかぎりは、どんなに議論しても共通の合意に到達しないので、とりあえずなんらかの客観性が必要条件として要求されます。わかりやすくいうと脳内価値規範ではだめで、みんなが語れるものであることがそこそこ必要だということ。

その条件をみたした上で、今度は基本的な合意が歪んだものにならないのにはどうすればいいのか? 僕の表のブログに書いたけれどもネットではハイエク的手法、ハーバーマス的手法、そしてサンスティーン的手法などが議論されていますが、東氏はネットでどのような価値規範の合意形成を議論しているかが、ひとつの焦点ですね。

ネットやおたくと共に生きていくみたいな話ではすまないわけです。