朝青龍の謹慎処分は不当か? 「仮病」は合理的選択では?


 腰の疲労骨折などで夏巡業を休場しようとした朝青龍が、モンゴルに帰ってサッカーしていたために国民と相撲協会関連で大顰蹙を買ってしまった問題ですが、年内の本場所に出場禁止、それと謹慎処分ということになっています。かっての大相撲ファン+『ヤバい経済学』+『大相撲の経済学』振興会会長(?)としてこの問題が気になりました。


 ところで学校関係でいうと「謹慎処分」というのは、登校して学校の施設の利用などを行うことを禁止する、という意味でしかなく、自宅に身柄を拘束していろ、という蟄居閉門とは違う概念だと僕は思っています。しかしマスコミの報道をみると、朝青龍は治療のための病院と高砂部屋と自宅の三つの間での行動の事実上の拘束を「謹慎処分」が意味している、と伝えていますね。もちろんモンゴルに帰れないとか、遊びにいけないとか、実際に「謹慎処分」がそんな協会の関連施設の利用制限や力士としての身分の行使の制約以外の私的な活動を制限する処分だとしたら、相撲協会の処分は不当だと思います。


 日本相撲協会のサイトには今回の理事会の処分についての発表もないので「謹慎処分」がなにを意味しているのか皆目わかりませんが。


 http://www.sumo.or.jp/


 それと(行方不明になっているのですが 汗)『大相撲の経済学』をその昔読んだ記憶なのですが、現在の力士は一種の過重労働になっていて、たとえば本場所での星のやりとり(暗黙の「八百長」)でさえも、力士サラリーマンたちが怪我や過労を避けるための合理的な選択である、と説明されていたと思います。


 朝青龍の「仮病疑惑」ばかりがクローズアップされていますが、仮定として力士が「仮病」で過酷な夏巡業を忌避する選択を行う可能性も考慮されるべきではないでしょうか? もちろん巡業に出ないとアスリートの勘が鈍るからそんな選択をあえてするわけはない、という反論もあるでしょうが、先の本場所での星のやりとりも要するに本気を出していないわけですからこの反論はあまり僕には説得的ではないように思えます。


 いいかたをかえると、過密な巡業と本場所のスケジュールが、力士たちに「仮病」や「八百長」を生み出す温床となっているのではないか、その可能性があれば朝青龍だけを批判してすむ問題ではなく、また批判されるにしても(上の謹慎処分の問題も含めて)事実上の引退勧告とされる今回の処分は、あまりにも力士側だけに責を負わせ過ぎなような気もします。


 ところで『大相撲の経済学』、行方不明orz

大相撲の経済学

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