中森明夫「『中央公論」は「ありのままで」を唄えない」in『毎日新聞』6月17日夕刊

 中森明夫さんの「「中央公論」掲載拒否! 中森明夫の『アナと雪の女王』独自解釈」がネットで話題沸騰中だ。いろんな議論に発展しそうで、Real Japanの編集長としてとても嬉しいことである。

 さてこの論説を対をなす毎日新聞夕刊の論説を紹介したい。中森さんのアナ雪論の核になる部分は、記事にもあるが、「ディズニーアニメ「アナと雪の女王」は、雪の女王エルサと妹アナの姉妹を描いた物語に見える。が、違うのではないか? 実は一人の女性の内にある二つの人格の物語だ。すべての女性の中にエルサとアナが共存している」という視点にある。

 そして「雪の女王」=本来の能力は抑圧され、「凡庸な少女アナ」として生きることを現代の女性の多くは強いられているのではないか? 中森さんはこう指摘する。

「「ありのままで」という歌が大ヒットするのは、いかに誰もがありのまま生きていない証拠ではないか?」

 記事を読んでいくと、『中央公論』の編集部がなぜ中森さんの論説を拒否したのかが詳細に書かれている。1)長谷川三千子氏についての記述。2)雅子妃についての記述が、編集部が掲載拒否した理由のようだ。

 冒頭のリンクにあるように、正直、僕にはどこが問題なのかさっぱりわからない。長谷川氏への批判的な発言に反論があるならば、それは中森さんと長谷川氏との言論の次元での対立であるべきだ。ここで編集部が発言の機会を一方的に封殺する理由はない。また雅子妃に関しての記述に至ってはさらになぜ問題なのかまったくわからない。中森さんも新聞記事の方で書いているが、

「皇室に触れたらなんでもタブーではあるまい。雅子妃の苦境を労う(ねぎらう)私の文章がどう問題なのか、再三詳しい説明を求めたが、明瞭な回答がない。編集部の姿勢といった曖昧な言葉に終始する。」

 そして驚くことに編集部の態度が、担当の女性編集者との問答無用の一回限りの電話での通告であったことだ(のちに男性編集長とのやりとりもあったようだ)。

「女性の心の解放を説いた私の原稿が、女性編集者の上司の男性編集長の判断で「ありのまま」掲載されないなら、これ以上の皮肉もないだろう」

と中森さんは論説を結んでいる。しかし本当になぜ掲載できないのか、なぜその理由を明示しないのか、不可思議なことである。

ネットで読める『アナと雪の女王』論(メモ)

中森明夫「「中央公論」掲載拒否! 中森明夫の『アナと雪の女王』独自解釈」
古谷経衡「アナ雪が描く「異なる価値観の共生」という夢」
 異なる価値観との「共生」。この実現しがたい「理想」を、しかし困難ゆえに高らかに表現することこそディズニー映画の役割ではないか、とする古谷さんの指摘。
 「「異なる2つの価値観」が互いに手を取り合い、共生する未来こそが、「ありのまま/そのまま」の本来の人類の姿だと提示しているのである。「Let it go」は、「共生」と「共存」が導く未来そのものの姿であり、不信と疑念に閉ざされていた旧世界(凍結)から解き放たれる、というメッセージ性が込められているように見える」。

岡田斗司夫の「ロボコップ」「アナと雪の女王」への批判コメント(youtube動画)

 リメイクされた『ロボコップ』にあるハリウッド的アイデンティティ問題(裏面での絶対的な善悪二元論の消滅)が、「アナ雪」にも展開されている。わかりやすい絶対的な善悪二元論が採用されていないため、トラウマとか関係性とかアイデンティティに話の重点がいかざるをえない。『ウォッチメン』の火星の城とアナ雪の氷の城との「孤独の定理」wの証明。結末にカタルシスがない。これは上の古谷さんの感想と真逆だ。

『アナと雪の女王』はなぜ面白いのか(大坂 直樹 :東洋経済 編集局記者)

上野泰也「「不況期に映画大ヒット」の法則が逆転した?「アナ雪」」

 ライムスター宇多丸のアナ雪論(動画その1動画その2