若田部昌澄 「アベノミクス」のA面・B面


 若田部昌澄さんの『Voice』論説が上記題名で今月号に掲載されてます。中川氏の『上げ潮の時代』の評価、「関係者不満最小化」を狙ってすべての政策をパッケージ化して提案している、「したがって、この本を読むときの注意点は普通の政治家が強調や言及をしない項目が入っているかどうかである」としているところは、一昨日の当ブログのエントリーと同じ評価であると思い得心しました。キーは「失われた十年」を期待の停滞ととらえたところでしょうね。後半は失われた十年こそが「定常化社会」だったのであり、それは国民の生活を極度に不安定なものにしたではないか? という問いこそ最近のこの種の反成長主義への問いかけとして重要ではないでしょうか? ほかにも興味深い論点を短い紙数の中で書かれていて有益ですのでぜひご一読を。

 高橋洋一氏、大いに語る


 『エコノミスト』の臨時増刊号「日本の進路』。昨日は実は通院したので家人に買ってきてもらう。本誌の方の例の銅鑼衣紋氏のhicksianさんへのアドバイスはそのうち誰かがふれるでしょうw。この臨時増刊号は事実上、この高橋洋一さんの「郵政民営化の舞台裏 それは財投改革から始まっていた」だけに価値があるといっていいでしょう。あとはどうでもいいです、このインタビューは政権側からの(道路公団民営化や金融庁の竹中“介入”を抜かす)ほぼ完全な構造改革のシナリオと経緯、そしてその経済学的分析が展開されています。必読。


 個人的な関心はやはり以下にも書きましたが、民営化しないままでは破綻する組織がどうしたら民営化したら収益性が生じるのか、という「魔法」に関するロジックでした。


田中の当時の論説 http://blog.goo.ne.jp/hwj-tanaka/e/85f9d6e4f423f0de2e18afdee48800a5


 これについては高橋さんの説明は以前、旧ブログなどでのご本人との議論同様に実はよくわかりません。簡単にいうと、郵便と郵貯簡保、郵便局ネットワークをわけて、共倒れを防いだだけのスキームにしかみえません。要するに国営のまま破綻したときの税金投入などのコストと、民営化(政府介入は完全にはなくならないのは注意)してから破綻したときのコストを両天秤かけて、後者がより少ないというのが本音でしょう。それか本当に試算で出していた民営化して新規事業のばら色の収益性に賭けたのか? そうなるとある種の収益が確実な新規産業をみつける、という「産業政策」の変種ですね。というわけでおそらく破綻コストが民営化の方がまともだからでしょう。もちろん現実にはどうなるかわかりません。が、少なくとも国営化で破綻確実なものが、民営化したからといって破綻しない、という経済学の論理は一般には成立しないことはいえると思います。


 あと高橋さんの再就職の苦労の核心理由がわかりました。郵政選挙圧勝での政府系金融機関の統廃合での財務省天下り先の統廃合もしたからではないでしょうか? 39頁のご発言は誰が読んでもそう匂わせてます。

 ともあれ繰り返しますが必読