新しい経済思想家の台頭?(頭を捻る経済思想本ベスト3)

 昨日、ある新聞社の記者の人が、大よそ「最近、新しい経済思想の研究者がでてきてるんでしょ?」ということを言われた。一瞬、僕は言葉に詰まってしまった。

 「経済学」はさておき、こと「経済思想」に関しては、日本の現状はただ単に縁故採用的な(笑)「若手」がちょこちょこでてきているだけで、簡単にいうと衰退というか、ほぼ無視しても差し支えない状況といってもいいかな、と思っているんだけども。

 その人が具体的にあげたのが、橋本努さんの『帝国の条件』だったので、これを経済思想の新しい流れ、といわれてしまうと、え〜〜! と声をあげてしまうのである。

帝国の条件 自由を育む秩序の原理

帝国の条件 自由を育む秩序の原理

 なんか温度が違うのだが。正直にいうと本人の意図や一部の熱狂を除外すると、この橋本氏の本を加えて、以下の3冊が、ここ1年ちょっとの間に読んだもっとも頭を捻る経済思想関係の本だったのでなおさら意外感がある。ちなみに下の『国力論』にも熱心な読者が僕のまわりに何人かいて、これも不思議な現象としてみているのだが。

 まあ、この三冊をあげることで、僕自身の見解が明らかになることにはなるか。

国力論 経済ナショナリズムの系譜

国力論 経済ナショナリズムの系譜

生きるための経済学 〈選択の自由〉からの脱却 (NHKブックス)

生きるための経済学 〈選択の自由〉からの脱却 (NHKブックス)

容疑者小島寛之

 あ、タイトル間違えた、すみません。下の小島さんの新刊『容疑者ケインズ』のことでした。献本いただきました。どうもありがとうございます。

容疑者ケインズ (ピンポイント選書)

容疑者ケインズ (ピンポイント選書)

 wierdvisionの連載に全面加筆を加えて、小島さん独自のケインズ論が展開されています。よくジョークで7人の経済学者に意見を求めたら、答えが8つあり、そのうち2つはケインズのものだった、というのがあります。それと同じでケインズの経済学を解釈させたら答えが解釈者の人数以上にありそうなのが、ケインズ解釈の難しいところでしょう*1

 僕は基本的に小島さんのマクロ経済論には反対の立場なんですが、それでもこの小島流ケインズ論からインスピレーションを受ける人も多いかと思います。読みやすいし装丁がスタイリッシュなので一読されてはどうでしょうか。

 それと本書を読む前、後いずれでもいいと思いますが、小野善康さんの『不況のメカニズム』(中公新書)、それにより本書との対比を意識するならば竹森俊平さんの『1997年ー世界を変えた金融危機』(朝日新書)を読まれることをおススメします。おススメよりも必読レベルですが。

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

 

*1:なぜ解釈者数よりも解釈の数が多いかといえば、それはこの解釈者の中には「ケインズ理論」と「ケインズ」を分けて考える人がいるからです。小野さんが典型ですが、「ケインズ」の発言の解釈よりも、「ケインズ理論」の解釈が重要視されてますので、例えば経済学史的な観点から「ケインズはそんな小野先生のケインズ解釈みたいなことはいっていない」という指摘に対して、小野さんはケインズの『一般理論』を再構築するかぎりでのケインズ解釈をしているのであって、なるほど確かにケインズ自身の学説史的解釈としてはそういう見方もありそれを排除するつもりはない=受容する、ということになります。小島さんのこの本も小野さん的な立場からの解釈かもしれません

最近、ふと思ったこと

 僕の元合コン仲間の黒坂真君の『独裁体制の経済理論』を、自分でも微分しながら読んでるんだけども(笑)、この本の参考文献はなかなかよくておススメ。松尾匡さんもそんなこと書いてたけども。ただそこに青木昌彦氏の本が上っていてそれの日本語原著ぽい本をついでに久しぶり(10数年ぶり?)にちょい読みしてみた。それを読んだ当時は「仕切られた多元主義」から「開かれた多元主義」というシナリオにただ騙されて(笑)そのまま読み過ごしていた。一時期、青木氏の「失われた10年」に関する見解について議論があった記憶があるが、この小冊子の最終部分を読めばだいたい書いてある。まあ、一種の構造問題説であることは明白。ところでこの「開かれた多元主義」だとか新古典派的な貿易理論への反論についての青木氏の議論は、例えば、David Weinsteinの一連の貿易論関係の理論や実証的な論文が対抗ワクチンとして使えたんだなあ、と再度、以下のホームページにあるWeinsteinの業績http://www.columbia.edu/~dew35/3.%20Research.htmlに深く感銘をうけた。青木氏らの「開かれた多元主義」という戯言を解毒する上で、三輪先生やワインシュタインらの議論はもっと光があてられるべきだと思う。しかも三輪先生と違い、ワインシュタインは日銀や財務省の政策にも大きく疑問符をつける業績がある点でも意義があるのかもしれない。というかワインシュタインの業績はこの日銀・財務省批判の文脈での論文に注目がいきすぎているけれども、より政策論的には地味な印象があっても彼らの貿易論関連の論文もその実践的な価値がきわめて高いな‥‥とふと、まわりにあまりにも青木昌彦ファンが多いのでそんなこと思った。