リチャード・クー氏への応答補遺


 econ-economeさんのエントリー
http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20080212/p2


 ところで一時期、匿名掲示板やら当ブログでもご丁寧に中傷付きで(笑)、「(クー氏の『陰と陽の経済学』などの)批判にリフレ派は応えていない(からお前らはダメ)」というご意見というか相変わらずの吉外節を目にしたことがありますが、今度の新刊で僕のパートについてはとりあえず書きました。ところでこの種の吉外さんの「ご意見」がご丁寧に見落としているのは


 クー氏からの批判への応答が書籍ベースでないのは、まだ出版されてないだけか、あるいは書く意義がない(気分がのらないというのもここに入れていいでしょう)か、あるいは書きたくても商業ベースにならないから の主に3つが想定されます。


 僕も自分の部分は応答しましたが、他の人の部分については上記の3つの理由のすべてあるいはいずれかから応えてません。基本的に個々対応されるのがいいでしょう。あと基本的に上記のecon-economeさんのエントリーも、僕のクー批判と基本的には同じ視点に立つ(少なくとも矛盾しない)と思えます。それは一言でいえば、「消えた日本銀行仮説」とでも命名できるものです。クー氏の理論の中では僕には理解できないことなのですが、日本銀行を主体とする金融政策、それに左右される貨幣的要因が明瞭ではありません。今回の『Voice』論説も“政府の宣言”での為替操作なわけです。今の日本で円高金融危機を救ったりすること、日本政府の力でユーロやドルやそしてさまざまな貿易不均衡・為替の不調整とか資産市場の問題だとか円の「品格」だとか、を15%円高にするということで解消するという方策など、すべてに簡単にいえば頭を傾げてしまいます。それでももし(逆スベンソン案の実現可能性やら日本経済に与える悪影響を一億歩譲って仮定としてみないとすると)円の水準を目標にしたいならば、それを実現可能にするには日本銀行の力がないと無理でしょう。(最近はネット上では特に隠喩やその他のレトリックが通用しないのでw)簡単に書くと、クー氏の政府が円高宣言せよ、というのは僕からいうと疑問しか抱けない提言だということです。