石原慎太郎とロリータ


 http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070627#c1182983229 でのsunafkin99さんへのお答えに書いた“推薦図書”(石原慎太郎『僕は結婚しない』(解説:斎藤環))を読んでみました。


 これは少なくとも物語りではないですね。例えば本書のテーマは、斎藤氏が解説で書いている興味深い石原論にあるように、現代の欲望の衰弱を回避するために、絶えず(肉体的なものをとらえ、さらに高みにある崇高なものを求め)欲望し続けるという責務を負った人間の「倫理」の物語として書かれているのかもしれません。欲望を衰弱させないために結婚をしないことを主人公が選ぶ。石原氏の崇高なるものを求める倫理という生き方の態度とでもいったものを、斎藤氏の解説は適確に描いていると思いました。


 例えばこのような斎藤氏の解釈にあてはまる、本書で一番露骨にテーマが表れている次の言葉に、作者の「倫理」性をうかがい知るには十分かもしれません。


「いや、そうは思わないか。セクスなんてものはキリもないが、しかし限りもあるんだよな、しょせん観念には及ばないよ。純愛なんてものがどんなものかモハヤ俺たちにはわからんこったが、しかしそんな繋がりというか、そんな相手が在ったとしたら、そいつらにはセクスなんどよりそんな観念の方がはるかに確かな現実、はるかにリアルなものなんだろ。特攻隊員の遺書を読んでみろよ。連中は手も握ったこともない、でも愛していると確かに感じ合ってる相手のために死ねたんだからな。彼等がそれを守るために死んだ国体ってものは、まさにそういう相手の女たちだったんだよな」(171頁)。


 ところで主人公(34歳)が結婚しないのは、当面、崇高な位置にいる小学校3,4年生の少女が大人になるのを待つためなのである。これってロリコンじゃなくて、やはり源氏物語じゃないのかな? いや、源氏はやはりロリ? 笑。


 斎藤氏は解説で、石原の文体が巧妙にいわゆる「ロリコン」的倒錯性を避けている、というが、その一方で僕は石原の文体に倒錯性に通ずる規律、矮小化された倫理の姿を感じてしまう。これはあの『エコール』という映画をみた感想に一脈通じている*1


 なんか石原文学かなり奇妙な味わいがする。少なくともいままで読んできた(そんなないけども)文学とはかなり異質感ありまくり。これが副知事がいってた「(世界を意識して)突き抜けてる」ってことなのか。考察は第二回に続く(え!?


*1:http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070421#p1で、僕はこの映画を「これちまたでの定評?どおりのロリコン映画なんかではなく管理社会の歓喜を描くえぐい映画でしょう」と評している