藤田菜々子『ミュルダールの経済学 福祉国家から福祉社会へ』

 御本頂戴しました。ありがとうございます。世界的にも稀なミュルダールの経済学を扱った単著で、今後の研究の重要な参照軸になる功績だと思います。本書はまずいミュルダールの人と業績を時代的な背景の中で簡潔に論じたうえで、ミュルダールの重要なふたつの視点ー価値前提の明示、累積的因果関係の理論を説明し、両者が相互依存していること、その相互依存をとらえることが経済学的な営為の特徴である、と示唆しています。

 さらにミュルダールが1930年代に取り組んでいた人口政策(積極的な産児制限と子育てをしやすい経済的なインセンティヴを設計すること)の内実を明らかにし、ケインズ人口論との対比も行っています。さらに戦後のアメリカ、開発途上国の貧困や経済格差の問題についても、価値前提を明示(近代的諸観念)を明示し、その上で政府の積極的な「計画」による貧困の悪循環(累積的因果関係の一種)の抑制を議論の中心にして論じています。そしてミュルダールの福祉経済論は国家的な枠組みを超える「福祉世界」という枠組みでとらえることができ、それがミュルダールの今日的意義である、と藤田さんは整理しています。

 僕には特に前半の価値前提の明示ー特にウェーバーとの関連(ウェーバーとは異なり価値判断の収束をミュルダールは意図していた)や人口政策の議論が特に面白く読めました。後半の福祉世界については、テーマが大きいこともあ、ミュルダール経済学という枠内で議論するとどうしても現代的な意義を十分に説明しきれないところもあるでしょう。これは今回の本とは異なるテーマとして藤田さんが取り組まれると面白いのかもしれません(以前、『月刊現代』で書かれた論説はその関連ともいえるでしょう)。

 ただいくつか細かいところで疑問点もあるのは事実です。例えばミュルダールが『貨幣的均衡』で「貨幣的均衡ーヴィクセルの第二条件として論じられた貯蓄と投資の一致ーが労働や資本の不完全利用のもとで成立すると論じた。しかし貨幣的均衡を維持するためには、一定の失業を容認しなければならないと彼は考えており、完全雇用は必ずしも最優先目標とはみなされなかった」(40頁)という文言がある。この意味するところがよくわからなかった。『貨幣的均衡』の中味の議論があまり丁寧に説明されていないので、この『貨幣的均衡』の議論が基になる累積的因果関係の理論が不明瞭であるともいえる。貨幣的均衡が成立していれば資源の不完全利用が問題ではないとするならば、そこにはミュルダールの「効率性」に関する価値判断があるのではないだろうか

 例えば貯蓄と投資が一致していればそのときに存在する失業は問題ではない、というのはかなり強い価値判断を含んでいるといえる。しかしこの点について本書では本格的には論じられてはいない。藤田さんにとってはこの問題は、マイナーな論点という扱いなのかもしれないが、例えば『アメリカのジレンマ』での貧困の問題や人口政策の背景にある考え方も所与の資源や労働をいかに社会的な観点から効率的に利用するか、という観点を抜きには論じることができないのではないだろうか?

 『貨幣的均衡』で展開されたヴィクセル的な累積過程論が、やがてマイケル・ウッドフォードによって(彼はまた自己組織臨界化現象という視点から累積的因果関係を別様に扱った論文があり、その自己組織化の経済学はポール・クルーグマンのミュルダールら初期開発経済学者の再評価の背景にもなっている)、今日の北欧を含む広範囲の中央銀行の政策モデルを提供しているだけに興味がある。

 それと最近、北欧経済モデル(かなり徹底した競争市場の導入と高水準のセーフティネットの二つの柱)についての展望論文を読んだが*1、本書の福祉世界論が今日のそのようなふたつの柱をもつ北欧モデルとどう接合できるのか、これも興味があります。なぜなら多くの日本人、あるいは研究者でも北欧モデルを単なる高セーフティネット=政府の保護中心の経済モデルとだけしかみておらず、ふたつの柱のもうひとつを見逃しているようにおもえるからである。

 しかし最近は本格的な経済学者の思想史的研究がコンスタントに日本で出てきて刺激されます。

ミュルダールの経済学―福祉国家から福祉世界へ

ミュルダールの経済学―福祉国家から福祉世界へ

*1:そのうち時間があれば紹介