書評:姜克實『石橋湛山の戦後 引き継がれゆく小日本主義』

 昨日、触れた僕が戦後の湛山の見かたを変えるきっかけになった本。旧ブログで掲載したこともあるけれども再録。

週刊東洋経済』に掲載されたもの。後の『経済論戦の読み方』(講談社新書)にも再録された。

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 優れた歴史書とは、一次資料と研究文献を綿密に解読し、細密画のように人と出来事のかかわりを描写していることを条件としている。同時に優れた歴史書は、現代の課題にこたえる処方箋や基本的な視座をも提供していることが多い。本書はこのふたつの条件をみたした歴史研究の見事な典型である。

 戦前は『東洋経済新報』を中心とした幅広い言論活動を行い、戦後は大蔵大臣を経て総理大臣に就任した石橋湛山の、主に戦後の活動に焦点をあてている。敗戦直後における日本再建ビジョンの提起、大蔵大臣としての「人間中心」的な経済政策の主張、公職追放からの復権、そして総理になるまでの政治的・社会的活動を、丹念にフォローしていて、明晰な文体とともに、湛山の生きた時代の雰囲気が伝わってくる。

 敗戦直後に、いち早く「更正日本の針路」を公表し、小日本主義(国際的な政治的権力・武力の拡張を忌避する立場)に立脚した明快な貿易立国を提言する一方で、戦争への国民の真摯な省察を説いた湛山の姿勢は、いまも先見の明にみちている。武力などによる領土拡張という戦前の失敗を謙虚に反省し、人中心の生産力発展を目指して社会を構築すべきであるという主張には今日からみても大いに共鳴するものがあるだろう。

 石橋は、戦前の昭和恐慌期において、不況を脱出するために、一連のリフレーション政策(デフレを脱して低インフレを目指す政策)を主張し、現実にもこれに類した政策が採用され、日本は経済停滞から脱しえた。戦後も一貫して、石橋はこのリフレ政策を主張する経済のプロフェッショナルであり、しばしば「インフレーショニスト」と批判された。しかし著者は、このようなリフレ政策を重視した石橋の基本的な視座というのは、人間の可能性を発揮することによって生産力を伸ばすものであり、人間中心的な経済論であるとしている。石橋は、人間性を最も破損させるのは失業であると考えており、これを避けるために経済が円滑に機能するような低インフレ政策を主張したのである。ドッジラインというデフレ政策に断固反対したのもこの基本的な視座による。

 戦後日本が直面した資源欠乏・領土の縮小・人口過剰という悪条件に対して、「湛山の復興経済論の基本視点は、いかにして「人」の要素(=労働力)を有効に利用するかに置かれ、「インフレ」論は、つまり貨幣の操作によって「人」の要素(=労働力)を引き出すための手段、方法であった」(228頁)と、石橋の経済思想を著者はまとめているが、この視点こそ、本書がデフレ不況という困難に直面するわれわれに与えた重要な教訓といえる。


石橋湛山の戦後―引き継がれゆく小日本主義

石橋湛山の戦後―引き継がれゆく小日本主義