「二・二六事件と“改革病”」

 いまからおよそ70年前の二月二六日に、帝都東京を舞台にした陸軍の青年将校による政権打倒・「昭和維新」を目指すクーデターが起きた。当時の高橋是清蔵相ほか、政権の幹部を殺傷、多くの軍・政府施設を占拠して数日後に反乱軍の解散という事態で失敗に終わったこのクーデターは、日本の現代史にさまざまな伝説を残して今日も語られている。

 例えばこの二・二六事件は、「皇道派」と「統制派」という陸軍内部の主導権争いであり、前者が敗北し後者が勝利したことで本格的な戦争の時代に突入した、という解釈がいまも歴史の教科書やメディアなどに掲載されている。また、この二・二六事件が「昭和維新」という天皇を中心とした国家改造計画を狙ったものであることから、このクーデターの首謀者たちに思想的影響を与えた北一輝西田税の関与も噂された。

 実際にこの二人は事件当時逮捕され、やがて青年将校たちとともに非公開・弁護士なしの軍法会議の果てに、死刑判決・銃殺に処されてしまう。しかし現在では、研究者・マスコミ関係者の地道な実証研究により、二・二六事件の実態の多くが明らかになってきている。まず歴史学者伊藤隆・北博昭の裁判記録の発掘とその公表が特記されるべきであろう(『新訂 二・二六事件 判決と証拠』朝日新聞社)。北はさらにこの記録を元にして事件の全貌についての詳細なパノラマを描いてもいる(『二・二六事件全検証』朝日選書)。

 また、いまから30年近い前にNHKで全国放映された二・二六事件時の軍部による盗聴の録音盤をめぐる番組のその後の展開を追った中田整一の『盗聴二・二六事件』(文藝春秋)は、伊藤・北らと同様に西田や北が“通説”のようにクーデターの黒幕でもなんでもないことを明らかにしていて興味深い。また私自身も寄稿した『二・二六事件とは何だったのか』(藤原書店)には、事件当時の内外の報道や知識人たちの反応や、また事件の現代的意義を明らかにした多くの論説を収録していて有意義である。

 私はこの最後の本の中に収録されている哲学研究者・古田光の三木清についての論説に注意を引かれた。というのも最近、浜田宏一、野口旭、若田部昌澄各氏らともに刊行する日本の経済政策の研究書の中に、私は三木清笠信太郎構造改革主義についての論説を寄稿したばかりだからである。二・二六事件をうけての三木清の反応とその影響について、事件に刺激されて三木なりのヒューマニズムに立脚する日本の改革を志向するようになったと古田は書いている。また、二・二六事件を「ファッシズムの非合理化」の現れとして、真の社会の合理化(つまり昔風の構造改革)として資本主義社会の改革を目指した、と古田は指摘している。その具体的なものが、三木が日中戦争以降に展開した日中親善に立つ大東亜共栄圏(いまなら東アジア共同体だろう)の確立につながっていく。

 しかし私はこのような三木清二・二六事件からの歩みは間違いであったと思う。まず日中戦争勃発時に、天下り的に日中親善を唱え、「思想的課題」として東アジア共同体的な発想を謳ったが、それは戦争状態を思想的な問題に摩り替える詐術を伴うものであった。やがてこの戦争状態という目前のリスクをみない姿勢は、大東亜共栄圏とそれによる日本の現状の改革というユートピア的な産物に化身していく。実は、二・二六事件の衝撃が、このような目前のリスクに無頓着な構造改革主義を生み出すだろうと、事件当時いち早く注目した人物がいる。当時の『東洋経済』編集長石橋湛山である。

 「記者の観るところを以てすれば、日本人の一つの欠点は、余りに根本問題のみに執着する癖だと思う。この根本病患者には二つの弊害が伴う。第一には根本を改革しない以上は、何をやっても駄目だと考え勝ちなことだ。目前になすべきことが山積して居るにかかわらず、その眼は常に一つの根本問題にのみ囚われている。第二には根本問題のみに重点を置くが故に、改革を考えうる場合にはその機構の打倒乃至は変改のみに意を用うることになる。そこに危険があるのである。これは右翼と左翼とに通有した心構えである。左翼の華やかなりし頃は、総ての社会悪を資本主義の余弊に持っていったものだ。この左翼の理論と戦術を拒否しながら、現在の右翼は何時の間にかこれが感化を受けている。資本主義は変改されねばならぬであろう。しかしながら忘れてはならぬことは資本主義の下においても、充分に社会をよりよくする方法が存在する事、そして根本的問題を目がけながら、国民は漸進的努力をたえず払わねばならぬことこれだ」(「改革いじりに空費する勿れ」昭和11年4月25日『東洋経済』社説)。

何か予想だにしない大事件が起きたときに、「根本問題」に惑溺することで、目前のリスクを見失うな、という湛山の教訓はいまも重い。

二・二六事件とは何だったのか―同時代の視点と現代からの視点

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