ダグラス・ケンリック『野蛮な進化心理学』(山形浩生&森本正史訳)

 進化心理学の最新の業績がコンパクトに整理されていて面白い。進化心理学は、超簡単にいえば、人間はたったひとつの心の産物ではなく、いくつかの心が集まった存在。これを著者は「下位自我」という。そしてこの「下位自我」は進化の過程で適応した成果でもある。

 例えば、「殺人妄想」。かなり高い確率で、あなたは「誰か」の殺人を心の中で思い描いたことはないだろうか? もちろん殺人妄想が実際の犯罪に結びつくことは必然的でもないし、殺人妄想が多い人が潜在的な実行犯だとも言いたいのではない。殺人妄想はわりと人類に一般的に観察できる。

 そして進化心理学の見地からみると実に興味深い「下位自我」のかかわる領域だ。例えば、殺人妄想の対象、つまり殺したい相手の大半は男女ともの男性だそうだ。男性の実に85パーセント、女性でも65パーセントが男を殺したいと日々妄想しているという。しかし重要な性差もある。ひとつには、男性の方は見知らぬ他人を妄想することがとても多いのに、女性の方の殺人妄想の対象は現在の恋人だという点だ。しかも女性の殺人妄想は数秒程度の持続でしかなく、また単発的だ。つまり非常に軽く衝動的。

 対して男性の方は反復性をもち、妄想時間もやたら長く現実的だ。さらに話を妄想から殺人実行に移そう。殺人の理由をみてみると、男性の方は圧倒的に「ごくつまらない理由」で人を殺してしまう。少なくとも居酒屋程度で乱闘するには、視線が交わされたとか、服がふれたなど本当にごくつまらない理由でいざこざが発生しやすい。

 どうしてこんなことが起きてるのか? 簡単にいうと、女性は子供を産むという過大な投資を行う。そのために男性を主に社会的地位(金銭的な観点もかなり入る)で慎重に選別する。殺人妄想がライト感覚なのも自分の投資元本(母体)が大切なので、力の差がある男性と肉体的格闘を避けるからだ。

 他方で、慎重に吟味する女性に対して、男性の方は選ばれるために必死に競争する性淘汰という現象と同じである。例えば男性が見知らぬ相手に殺害妄想をもつのは、彼が酒場でまったく知らない他人とちょっとしたことで喧嘩することにも似ている。その動機の根源には、深い合理性―例えば性淘汰の結果として、女性に選ばれること、もっといえば他の男性に対して自分が優位にあることをみせつけることが大きく規定している。

 本書には進化心理学のエッセンスが巧みに解説されていて面白い。また著者のマズロー的な心理学の再構築も個人的にはとても興味をもてた。なぜなら10数年前に翻訳した『アダム・スミスの失敗』はそのようなマズロー的心理学を応用した経済学に基づいたものだからだ。

 シーブライトの本といいケンリックの本といい興味深い進化心理学と経済学の交流が書籍ベースででてきてて面白い。近いうちにロバート・フランクの『ダーウィン経済』も読んでみたい。

野蛮な進化心理学―殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎

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