しかし、これだけの社会問題になっても地域独占体制はいささかも変更なし。それどころか、東電は実質国有化でさらに独占力アップ。本当にこの国の体質には驚く。
「原発ゼロ」 夏の計画停電、現実味(産経新聞) - goo ニュース http://news.goo.ne.jp/article/sankei/business/snk20120505078.html
原子力規制庁って本当に必要だろうか? いまのスキームをすっきりさせればいいだけではないか? 規制すれば安全、というのは間違いじゃないだろうか? いままでも規制してて電力会社とずるずるべったりしていたのを、今度はさらに立場を強化してずるずるべったりになるだけではないか?
規制すれば安全、という国民の盲信に付け込んでいるだけではないだろうか?
で、素人をダマす最大の殺し文句が、「保安院は経産省の影響強く、規制庁は影響を免れる」みたいな与太話。規制当局と規制される側のもたれ合いを経済学の立場から指摘した、「虜理論」のジョージ・スティグラーが苦笑する。規制監督庁と規制される側がずるずるべったりになるのは、規制される側に独占レントが発生してそれの一部の裁量を監督官庁が握れるから。経産省から独立しても同じ。
電力会社がいまもマスコミに影響力を持ち(もう誰もいわないけど震災の日だって東電の会長はマスコミの偉い人と遊んでたのでは?)、規制する方が天下りなどでずるずるべったりのもたれ合いのその根元は、電力会社が独占レントを活用しているから。それにノータッチで規制監督庁を新設しても基本意味なし。
ずるずるべったりのもたれ合いをまだ続けようというのが、国民の多くが無意識に採用している選択。国が規制すれがばよくなるという盲信がその背景にある。今回の原発問題がずるずるべったりだから、と批判しておきながらまだその基本構造(独占事業体の継続)を改める認識をもたない点では、僕ら国民は相当お人よし。
スティグラーはこの国民の「お人よし」な姿勢を、経済学者に代表させて「国家観の分裂気質」と表現した。まさに言えて妙。

- 作者: ジョージ J.スティグラー,余語将尊,宇佐美泰生
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 1981/01
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