海老原嗣生『仕事をしたつもり』

 海老原さんから頂戴しました。どうもありがとうございます。すでに評判の高い本書ですが、プレゼン資料が多ければ多いほどいいという「神話」とか一生懸命働いているつもりでもまったく働いてない、という指摘など、日常の仕事のシーンを的確に摘出して、それに明快な批判的視点を投じています。

 本書を凝縮した終章のプロセス1から4までは、日常の仕事のシーンだけではなく、日本銀行財務省などの経済政策を考えるときにも応用できるすぐれ技です。これを適用すれば、いかにいまの経済政策、いや行政の仕事のほとんどが「仕事をしたつもり」なのかが判断できるチェックシートになりますね。

プロセス1 「仕事をしたつもり」は、はじめから頭ごなしに「そんなの無駄」とは言えないような、何かしらの説得力を持っている。

(田中の例)日本銀行の長期国債の買いオペ上限ルール → このルールをまもらないと、紙幣の信認が低下するなどの「表面的な合理性」がある。

プロセス2 こうした「過去の成功事例」や「マーケティング数字」数字を並べられると、右へならえという人が増えていき、その数の増加とともに、反対意見を述べる人が加速度的に減っていく。 

日本の組織によくありがちな空気を読むというか、最近では御用一般人の連鎖を想起してしまいますね。本書でも指摘されてますが、本当に仕事をすることは、日本という風土では孤独に陥りやすいのですが(その反面で充実感もある)、そのような孤独に耐えられない人がこのような「仕事をしたつもり」とか御用一般人になるのかもしれません。これを防ぐには本書で強調されているように、「なぜ?」という疑問を抱くことでしょう。

プロセス3 「仕事をしたつもり」の蔓延過程で、何かしらの権威付けが起きると、さらにその広まり方は速く、大きくなっていく。
 これなどは本当に、僕と上念司さんが御用一般人を批判するときに、適菜収さんのB層分析を下敷きにしたのと同じです。簡単にいうとながいものに巻かれる心性でしょうね。本書では「会社一丸となって」とかいうスローガンがでてますが、いまの増税の背景にもこの種のスローガンがあります。「次世代に負担を残すな」で思考停止になるとか。実際には次世代も未定義だし、負担の裏側に将来にわたる資産も残るのですが、それはだれもwhy思考の対象にしませんね。

プロセス4 こうして完成した「仕事をしたつもり」は、実行した本人にとってとてつもなく甘い蜜になるため、もはやだれも「無駄だ」と指摘できなくなり、定着する。
これもいまのネットでの誹謗中傷だけする御用一般人の特性をそのまま表してますね。批判しててもその他者を誹謗する匿名の「甘い蜜」をチューチュー吸っているようです。

あえて御用一般人と関連させましたが(もちろん本書はそんなネットの異形を相手にしてませんが)、本書の対象は出る杭を叩く、日本の足の引っ張り合いの風土が、「仕事をしたつもり」の根底にあるのだ、ということを示すことにあるように、僕には思えます。

すぐれた社会分析の本です。

仕事をしたつもり (星海社新書)

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