林敏彦『大災害の経済学』

 阪神淡路大震災について一貫してテーマにしてきた経済学者の実証ベースの本。僕も林氏の書いたものは、自分の発言のベースとして利用させてもらってきただけにこの新書の発表は嬉しい。ただ多くの部分は、阪神淡路大震災に関してすでに発表してきた論文・報告書に加筆修正したものからなる。また本書の前半は、阪神淡路大震災を契機にしてどのように法制度が変化してきたか、そして現状ではどのような法制度が重要なものかの基本的な災害対応の説明が詳細に書かれていて、たぶんかなり読み手のハードルを高くしてしまっている。もちろん実際に政策ベースで考えるとこの日本の災害関係の法制度をよく知っておかないとまずいのでそれはそれで貴重な貢献になっている。

 とりあえず、この本でいま僕の一番の関心は最後部にある第11章と12章である。僕は今回の大震災に関連する被害額の推計については、林氏のものを支持してきた(直接的な人的被害を含めた約34兆円、ただし震災直後に僕が参照した日経経済教室の段階では20兆円)。さらに僕と上念司さんや岩田先生や高橋洋一さんたちもそうだと思うが、政府と日銀がこれからもデフレ不況を放置した場合には、持続的な人的「被害」がきわめて深刻であり、これも震災を契機とした損失の中に含めるべきだと考えている。

 さて林氏の経済被害の推定に関する記述は第11章にあるのだが、まずベルギーの災害疫学研究所のデーターベースEM-DATの経済被害の定義から、地域経済に対する直接(例えば社会資本、収穫物、住宅など)および間接的(例えば売上の減少、失業、市場混乱など)の影響をわけている。

 林氏は直接被害の推計の困難を指摘している。例えば毀損した資本ストックの価値額として、1)ストック滅失分の時価評価か、2)再建費用、いずれをとるかで大きく異なる。例えば、民間企業のケース(非課税の減価償却費の蓄積あり)、公的資本ストック(例:道路では減価償却を公会計では行わず)、個人の住宅(減価償却しているのは少数)。このとき民間は1)、公会計ケースでは2)、個人の住宅では2)が一般的に望ましい推計根拠になるかもしれない。

「また阪神・淡路大震災のときには、資本ストックの滅失額として、そのストックの時価評価額(推定)に毀損率を掛け合わせて合計した数字が使われた。したがってこの被害推定は、再建費用の面から見れば、明らかに過小評価だったと言えよう」。

 また米国は死者・負傷者の人的資本の額も推計されるが、日本ではしていない。

 さらに地方自治体(被災した県レベル)では被害額の推計方式もバラバラであり、また国への要求ベースなため過大評価の部分と無視されている部分(宮城、岩手、茨城などではライフライン設備や民間資本の滅失額は算定されていない)が混在している。

 間接被害については、資本ストックの間接被害額の推計について理論的な困難を林氏は指摘して、あとは注目すべきなのは以下の文言であろう。

「県内総生産や市内総生産で見るかぎり、災害による落ち込みは一年程度で終わり。その後数年は復興需要で拡大が続く。顕著になっていくのは、間接被害そのものより、むしろ復興格差の問題である」。

 ただEM-DATの間接被害の定義だと、失業、売上の減少、市場混乱(例えば風評被害などであろうか?)であり、林氏のように不動産価格の市場価値の間接被害として例示して論じることが、間接被害問題の中心的論点とするのが妥当だろうか? 

  林氏の被害額の推定は、人的被害と経済被害との関係を統計的に推定することによっている。その結果、公共施設(土木施設や農林水産施設)だけではなく、民間ストックの滅失分を含めて推定するというものである。林推定では、約33兆円である。

 またこれには原発事故の被害推定として、林氏は福島原発第1、第二から30キロ圏内になる南相馬市いわき市田村市双葉郡の6町2村、相馬郡飯館村の域内総生産を約1兆円。それが10年間失われたとして10兆円という想定をしている。これは著者も認めているように強い仮定かもしれない。

 最終章では、復興構想会議への懸念が表明されているが、もっと強い懸念でもいいのではないか、と僕は思う。事実上、増税目的の会議であり、この会議の結論をまって予算策定という(ゆえに補正予算も遅れる)という本末転倒の会議なのだから。

大災害の経済学 (PHP新書)

大災害の経済学 (PHP新書)