太陽政策より寒風政策、さかしらよりも愚かに

 久しぶりの床屋政談。別になにか経済学の観点から言おうというわけではない。経験談みたいなものかな。

日本銀行が規模とタイミングの問題を大きく無視すれば、ようやくそれなりの政策を始めたし、以前よりもまともだから、あまり厳しい批判をせずに、暖かく見守るという見解を「太陽政策」(どこかで聞いたような?)と名付けようか。

この「太陽政策」は、かってリフレ派の中でも2001年の量的緩和政策採用時点、さらには03年あたりの円安介入+量的緩和の拡大 それぞれにいわれたものである。「太陽政策」はなんかあたまがよい人が採る傾向にもある。これに組織や政策は憎むが人は憎まずという、これまた賢いオプションがつく

いま書いた組織・政策と人は別という見解を、「さかしらの見解」となづける。この「太陽政策」と「さかしらの見解」は、僕の経験からいうとこと日本銀行については経験上、最悪のオプションだと思っている。

 なぜ最悪か? それは2001年、2003年を経過した今日の状況(自分で景気後退局面にしておきながら十分な緩和をすることもなく世界同時危機の影響をもろにうけ、政治的な圧力を断続的にうけようやく危機から二年経過して少しはまともな政策に舵をきるかなあ、というレベル)をみれば、わかると思う。

 僕は(賢い人たちには)申し訳ないが、これからも「寒風政策」と「愚者の見解」で、日本銀行をみていきたいと思う