馬のウンコの経済学

 このブログの一貫した影のテーマがある。それはウンコとトイレの経済学というものだw。本書はそのウンコとトイレという人類の前者は必然、後者はテクノロジーの結晶について、またもや希少な貢献をしていることで必読の文献である。他にもいろいろ面白い話題があるが、なんといってもこのブログではウンコだw

こんな感じだ。時は19世紀のニューヨーク。移動手段は馬だ。

「そして何よりも最悪なのがウンコだ。馬は一日に平均で24ポンドのウンコをする。馬が20万頭いれば500万ポンド近い馬のウンコだ。それも1日で。そんなウンコはどこへ行っていたんだろう。当時をさかのぼること数10年(ここはウン十年と訳してほしいw…田中注)、馬がそれほど街にいなかったころ、ウンコには市場があってうまく回っていた。農家の人がウンコを買って車(もちろん馬が引く)で畑へ持って帰っていたのだ。でも、都会の馬の数が爆発的に増えるにつれて、ウンコがやまほど余るようになった。空き地には馬のウンコが積み上げられ、その高さは60フィートにもなった。通りにもウンコが雪みたいに積み重なっていた。夏になるとウンコの臭いが天まで高く立ち上がった。雨が降ればウンコがドロドロに解けた水が横断歩道にあふれ、通り沿いの家の地下室まで染み出した。今日のニューヨークで、褐色砂岩を張り、階段を上がった二階に入口がある優雅な古い家を見てすばらしいと思ったら、あれは仕方がなくそういうデザインになったってことを思い出してほしい。家に住む人がウンコの海に沈まないためには、ああしないとしょうがなかったのだ」(12頁)

経済学の本の中でこれだけウンコの社会的影響を緻密に描写した本を他にはしらない。さらに描写は続くw。ウンコはハエ、そしてそれを介した伝染病の温床だ。ネズミなどの害獣もいる。ウンコはメタンガスも出すので地球温暖化の元凶だw。

これを解決したのは車の普及。これを「創造的破壊」という。しかしいまやその馬のウンコを退治した車があたらしい社会悪として批判されている。しかも他方で馬のウンコは希少価値を高め、「ウンコ泥棒」まででる始末。しかもその「ウンコ泥棒」は下の本を書いた日本でも著名な経済学者だ。もっとも「ウンコ泥棒」は法廷でのウンコの投げ合いの勝利により疑いは晴れたようだ。

シェア・エコノミー―スタグフレーションを克服する

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レビッドらのウンコの経済学は歴史的描写は面白いが、いまいち経済学的な切れ味がないのが残念。でも他の話題には面白い視点がいくつもある。だいたいが、機会費用や代替・補完の関係などを理解していればだれでもわかる工夫がされているのはさすがにうまい。安心して読める著作だ。でもそれって全然、ヤバくないんじゃないの?笑。

しかし最近、翻訳がまたでたティム・ハーフォードの新作、『予想通りの不合理』増補版などの著作を読むとなんだか経済学が単なる「頭の体操」化していた感は否定できない。まあ、それでいいといえばいいけど。面白ければすべてよし。

本ブログのウンコ、トイレの経済学関係のエントリーは以下

トイレのパイプがつまったら:http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20080505#p1

便座を女性のために下げておくのは非効率的な行為なのだ。でも女性が怖いのでみんな便座をさげとくけど、これ政府が介入してどうにかしないと?:http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20080502#p1

合理的なウンコの話:http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20080401#p1

トイレでお尻燃えるhttp://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20081127#p1

超ヤバい経済学

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