ヘンリー・ハズリットはリバタリアン(個人の自律性や市場の効率性、政府・官僚への制約を中心にした考え)の啓蒙家と一部の人には知られている人物であった。若田部昌澄さんの本書解説では、ハズリットの経済思想は主に古典派経済学とミーゼスらのオーストリア経済学に依存しているという。そして本書はまたフランス19世紀の経済啓蒙家として名高いフレデリック・バスチアの著作の翻案・改訂版といっているという。
本書は経済啓もう書の古典だけあって読み応え十分である。ハズリットの見解は、政府や官僚への不信には、若田部さんの指摘するように、政府の非効率性だけには基づかない深い思想を感じるという。それが典型的に出ているのが、第7章の機械化は失業を増やすか、であろう。
例えば、機械の導入は、既存の労働者やその利害関係者がいうようには、失業を増やしておらず、むしろ雇用を増加させている、ということが、ハズリットの丁寧な解説でわかる。長期的には機械の導入は人々の暮らしを豊かにするのだ。財やサービスが増加し利便性が増え、さらに価格も低下する。そして働く時間にも余裕ができ人々はそれを余暇にまわすことも生活を豊かにする。機械の導入で経営者の利益は、機械の採用を増やしその機械をつくる企業の雇用を増やす、また他の事業にこの利益を投じることでまた雇用が増える、そしてこの経営者の消費で消費先の雇用が増える。政府の規制や特定の利害集団の横やりは正当性をもたない。
他方で、ハズリットは、次の点にも注目することで、先の「深い思想」を垣間見せる。
「腕のいい職人で熟練工の賃金をもらっていたジョーは一夜にして未熟練工になり下がり、未熟練工の賃金しかもらえなくなった。彼のただひとつの誇りだった技能は、もう必要とされない。私たちはジョー・スミスのことを忘れてはならない。ジョーは、産業や経済の進化に伴ってほぼ起きる悲劇の犠牲者である」
このジョーの悲劇は目の前の問題である。ハズリットは市場の長期的果実に疑いをみせない。だが他方でジョーの悲劇も考慮すべきことを重視する、複眼的な経済学者である。
本書はマクロ経済学の位置づけは今日では問題ないとはいえない。しかしミクロ経済学の基本をとてもわかりやすい表現で記述しており、異なる立場に立つ人たちもぜひこの本を一度は読んでおくべきだろう。僕は少なくともとても楽しんだ。
- 作者: Henry Hazlitt(ヘンリー・ハズリット),村井章子
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2010/06/24
- メディア: 単行本
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