コーディネーションの失敗と財政政策の関係メモ

 まあ、僕はネットの奇妙な議論にはもう付き合いきれないのですが(最近でもマンデルフレミングモデルのすごい解釈をみかけてめまいがしましたが)、なんでも最近では、財政政策が長期的な効果をもたない、ということを議論するために、コーディネーション(の失敗)の問題を持ち出して演説されている方がいるとのこと。まあ、どこの誰だか知りませんが、やはり日本のネットでの議論は僕は自分のアンテナやリンク先以外(あるいは以前とりあげた経済系ブログベスト以外)はほとんど信用しないほうがいいようです。

 例えば資本の固定性や労働の固定性が原因となって、部門間の資源移動が損なわれているケースを、コーディネーションの失敗として考えて、この経済が低位均衡に陥っているケースをみてみましょう(理論的な詳細はRussell W. Cooperたちの論文とかそこで参照されている諸論文をみてほしい)。

 例えばそのようなコーディネーション問題に直面している経済を以下にように「45度線」ぽく表すことが可能です(この図は山形さんのところから失敬。というかリンク先を読めばこのエントリーは読まないでもいいたいことわかるでしょ? ですんで説明は大幅に端折り以下は結論のみ)。

 この図ではぐにゃぐにゃ45度線は財政支出のおかげで一時的に低位均衡から脱出しておしまいではなく、長期的に低位均衡から押し出される効果をもつ可能性が示されている。

 つまりコーディネーション(の失敗)の問題だと考えている人が、財政政策は一時的なものでやめたらおわり、とだけ考えて、財政政策には長期的な効果はない! と断言するのはどうみてもいいすぎだってことだ。

 少なくとも財政政策がコーディネーションの失敗を長期的に解消できないことを示す論拠をほかにちゃんと用意するべきなんじゃないかな。残念ながらそんな細かい配慮はネットでこの議論を得意げに語っている異空間には伝わらないだろうけど。ちなみにこのコーディネーション問題をハイエクの議論から解くのはそんなに有望な話なのかな? 僕にはまったく違ったように思えるけれども。まあ、それは「経済学史」の話なのでまたいずれ。