上げ潮派ってなんでしょ(プチ改訂版)

 ソフトバンククリエィティブのメールマガジンに掲載されたもの転載

 もう七年も前のことだけど、2001年に専修大学教授の野口旭さんと共著『構造改革
論の誤解』(東洋経済新報社、以下『誤解』)という本を出した。執筆の関係は、野
口=先生、田中=弟子、という感じで、僕はそのとき初めて経済評論という分野に手
を染めたわけである。この本の主要テーマは、「構造改革なくして景気回復なし」と
スローガンを掲げて、国民的な人気を誇った小泉純一郎首相の経済政策を批判的に議
論することだった。小泉氏の当時の人気は本当に凄まじく、非常勤でいってた大学の
講義で『誤解』の内容を説明していたら、ある学生のアンケートに「なんで先生は小
泉首相をいじめるんですか?」という一言コメントが返って、思わず苦笑したもので
ある。
 その国民的人気はほぼ在任中維持されたといえよう。そして小泉氏は今期かぎりで
政界を引退するという。「上げ潮派」は小泉政権末期に、構造改革を継ぐものとして
政治的な合言葉になったものだ。もちろんこの「上げ潮派」の最大の守護神は小泉氏
であったことはいうまでもない。
 しかしその「上げ潮派」の代表として出馬した小池百合子議員はほとんど選挙らし
い闘いをすることもなく落選した。それは無残というよりも、どことなく喜劇的に思
えた。そして小泉氏の引退によって、「上げ潮派」の政治的な呪文は大部分効力を
失ったように思える。そんなわけで「上げ潮派」の人たちも困っているだろうけれど
も、それをテーマにして資料を読み準備していた僕も困った(笑)。明らかにいまの
国民の注目は、麻生政権VS小沢民主党であろう。両者の政治的な闘いに注目がいって
いる。「上げ潮派」の出番は政治的には当分なさそうだ。まあ、「上げ潮派」といっ
てもその実体は、構造改革を目的にする政治家・学者の小規模集団でしかない。いま
やベストセラー作家の高橋洋一教授は、著作の中で、日本には「上げ潮派」はご自身
を含んで三人しかいないと明言している。高橋洋一教授、中川秀直衆議院議員、竹中
平蔵慶応大学教授だ。小泉元首相が入っていないし、今回の小池議員や、また小泉チ
ルドレンの面々(最近、面白い経済論を出した佐藤ゆかり衆議院議員は注目株であろ
う。『日本経済は大転換できる!』参照)は、「公式」の上げ潮派ではないみたい
だ。まあ所詮、「派」といっても緩い結び付きの集団ということだろう。
 でも、高橋、中川、竹中の三人は特に強い結び付きをもっているみたいだ。高橋教
授は最近著『霞が関をぶっ壊せ!』(東洋経済新報社)の中で、竹中氏との若い頃の
出会いを「運命を変える出会い」と語っている。中川氏の経済政策観には高橋教授が
強い影響力をもっていたことも明白だ。ところで高橋、中川両氏の著作や発言を読む
と、このお二人の主張はかなり共通項が多い(中川氏の著作については『上げ潮の時
代』参照)。
 両者ともに日本銀行の金融政策がデフレ克服や経済成長率の安定化に寄与すると主
張している。他方で竹中平蔵氏は最近著『闘う経済学』(集英社インターナショナ
ル)では、金融政策はほとんど話題にならず、むしろ規制緩和や民営化、それに産業
政策的なものが、現状の日本経済の安定化に寄与すると思っているようだ。三者が共
通しているのが、「小さな政府」の実現である。公務員制度改革財政再建、地方分
権などがそのための手段といえよう。日本風にいえば構造改革、要するにサプライ・
サイドの改革である。
 このサプライ・サイドの改革の本場はもちろんアメリカである。現在のブッシュ政
権、あるいは共和党が伝統的に保持している経済政策のスタンスである。その特徴は
主に二つ。キーは減税戦略である。サプライ・サイド経済学では、減税はまず第一に
労働と資本蓄積の意欲に結び付く(ラッファー曲線の命題という)。第二に減税は財
政収入を逼迫させることで、歳出減に結び付くことが期待される(これを野獣飢餓化
仮説という)。
 日本では小泉政権下で消費税増税は一貫して回避されたし、本音は減税をしたかっ
たのかもしれないが深刻な財政赤字の状況がそれを許さなかった、と竹森俊平慶応大
学教授はみている(竹森俊平『1997年ー世界を変えた金融危機朝日新書)。第二に
ついては、竹森氏はこれを小泉政権以来の自民党の「歳入・歳出一体改革」というも
のだったと考えている。確かにそうかもしれない。ただこれも日本では減税が積極的
に採用できるないという壁にあたる。そこで高橋教授の「埋蔵金」(特別会計の余剰
金)に注目がいったのではないか、と僕は思っている。この埋蔵金は、高橋教授が指
摘しているように、「天下り」禁止などの公務員制度改革と表裏一体である。埋蔵金
が「天下り」を可能にさせる資金源だったというわけだ。埋蔵金を拠出させれば「天
下り」はその資金源の多くを失ってしまう。
 でもここで面白いことが起こっている。本家アメリカのサプライ・サイド経済学に
ついては、ハーバード大学のジェフリー・A・フランケル教授が指摘していたけれど
も、ラッファー曲線命題(減税で経済活性化して税収増)と野獣飢餓化仮説(減税で
税収減→歳出減)を両立することは、減税で税収増と税収減を目指すまったく矛盾し
た政策だ、ということだ(フランケル教授の主張については、
http://d.hatena.ne.jp/Hicksian/20080910#1221039006を参照されたい)。竹森教授
も歳入減で歳出減を目指すことは、歳出減が難しいために歴史的に財政赤字の規模を
拡大することでしかなかった、といっている。フランケル教授も竹森教授も本場のサ
プライ・サイド経済学の評価としては正しい。
 でも日本型はどうも一味違うようだ。その原因は「暗黒卿」もとい高橋洋一教授の
斬新な着眼点とアイディアに依存している。埋蔵金を利用すれば、歳入減によること
なく、公務員制度改革など「小さな政府」を実現しつつ、歳出減を行うことができる
(野獣満腹化仮説とでも名付けようか)。さらに埋蔵金をもとに減税を行うことで労
働や資本蓄積の意欲につながる(高橋版ラッファー曲線命題)。この日本型は本家と
はすでに発想自体が異なるような気さえする。
 気がするだけではなく、実際に「上げ潮派」は、本家サプライ・サイド経済学だけ
ではなく、なんとその真逆の立ち位置ともいえるオールドケインジアンのローレン
ス・クライン教授に「上げ潮派」の理論的根拠を策定してもらってもいる
(Accelerating Japan's Economic Growth)。このクライン教授の基本的な主張は、
積極的な財政・金融政策による(名目・実質)経済成長率の安定化である。この点は
先に触れたように「上げ潮派」三人組のうち高橋・中川氏に特に強く反映されている
(もっともクライン教授からの影響ではなく、高橋教授の方は20世紀の終りにプリン
ストン大学でベン・バーナンキFRB議長やポール・クルーグマン教授らから仕込んだ
ものであるが)。
 いまの日本は世論やマスコミの多くが「インフレ」といっているが、世界標準の解
釈ではまだ「デフレ」だ。それは国民の多くが所得が伸び悩んでいることで実感でき
るだろう。この所得を増加させることがクライン、高橋らの目的である。名目所得が
伸びれば、やがて歳入も増加する。ただ歳入が増加しただけで安心してしまうと、今
度は「小さな政府」を築くための努力が低下する。そのために(経済学的には問題あ
りまくりだが、とりあえず)プライマリーバランスの2011年の黒字化という目標にコ
ミットする、ということが目指されたのだろう。
 ここまで見てくると、高橋、中川らの主張はすでに本場のサプライ・サイド経済学
の受け売りだ、と定義することはできない。むしろ「小さな政府」や構造改革の実現
のためにはなんでも使う、というプラグマティックな経済思想の一形態である。しか
しこの手法にも限界がある。それはあくまでも目的が構造問題の解消にあり、積極的
な財政・金融政策はそのための一手段にしかすぎないことだろう。そのためか、特に
キーになるはずの金融政策の政治的な「改革」が二の次になり、特に「上げ潮派」が
政治的なピークだった安倍政権下ではほぼなにもしなかった。あのとき早々に日本銀
行法改正(インフレ目標などの導入)でもすればよかったと僕は思っている。
 そして、僕が考えるところ、いまの日本の問題は構造的な側面よりも、循環的な側
面(つまり長期停滞だとか景気の長期不安定化)にある。だから積極的な財政・金融
政策の実行、特に金融政策の改善こそが大きな役割を担っていると思う。もうそれ以
上はこの「根本問題」には不用なくらいだ。もちろん高橋・中川(そしてクライン教
授も!)各氏も僕とその点では一緒だろう。しかし政治的な改革スケジュールの中で
金融政策の見直し、つまりは日本銀行法の改正、あるいは政府が主導する形でのイン
フレ目標や名目経済成長率目標の宣言などは行われなかった。それは繰り返しになる
けれども、「上げ潮派」の政治目的が「小さな政府」の実現にあり、デフレ脱却が目
的ではなく、あくまでも「小さな政府」脱却のための一手段でしかなかったからだ。

 「上げ潮派」のことはまだ語るべきところが多いがすでに猛烈に長い(笑)。また
それは次回に。麻生政権や民主党の政策にも触れたいけれどもそれもまたいつか。

小泉政権時代のプレ「上げ潮」(=竹中平蔵氏の経済政策、郵政民営化)の評価とでもいうべきものは以下に

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