朝青龍と中島隆信『大相撲の経済学』(文庫版)

 うっかり購入するのを忘れていた中島隆信氏の『大相撲の経済学』の文庫版。加筆修正さらに文庫版増補も充実して登場していました。

 この『大相撲の経済学』は実は大好きで、単行本のときにも宣伝?活動にこれつとめていたわけですが、今回の文庫増補もいろいろ考えさせられます。朝青龍がなぜ「傍若無人」であまり角界の常識や横綱審議委員会の一部から苦言を呈されるのか、中島氏は考察しています。

 相撲社会は、中島氏によれば典型的な日本型経営の社会である。その金銭的なインセンティヴの根源は、「日本的経営の最大の利点は、社員の定着率を高め、労働のモラルを向上させることにあるとされる。なぜなら、モラルを逸脱した行動をとれば、会社をクビになり、後払いの給与をもらえなくなってしまうからだ」(同書243頁)。

 ところが朝青龍は、日本とモンゴルの経済格差を利用して、日本で稼いだお金をモンゴルに投資して莫大な富を築いてしまったあ。つまり後払いの給与をあてにしなくていいため、彼には角界のモラルを守るインセンティブがないのである、と中島氏。

 「彼はもはや会社人間ではない。品格を身につける必要性は感じないだろうし、カネにならない地方巡業などに出るインセンティブはほとんどない。経済学的に見れば、朝青龍の行動は実に理にかなっているというべきである」(245)。

 これは一面では確かに正しいのですが、しかし経済学は別に金銭的インセンティブだけを重視してそれで合理的な行動を説明しているわけではもちろんありません。例えば朝青龍以外にも、出身国と日本との経済格差がかなり大きく、日本で稼いだ所得を出身国に送金したり投資したりする力士は多いかもしれません。しかしほとんどの力士は朝青龍ほどは表立って「モラル」を問題にはされていないでしょう(ロシア出身力士の問題は表立っての行為ではないので別枠で考えます。実際に影でどんなモラル違反をしているかなど会社人間ですらわかりませんから)。例えば同じモンゴル出身の横綱白鵬はどうみても「モラル」に問題があるようには思えません。

 もちろん朝青龍が特に金銭的インセンティブに反応している、と中島氏はいいたいのかもしれません。そして人が思う以上に金銭的なインセンティブが非常に強力なのも事実でしょう。人間にはそれしか機能していないのでは、と時には僕にも思えますが、力士の力士としての行動やあるいは公衆での行為がすべて金銭的なインセンティブだけで、その人の「モラル」(角界のルールや暗黙の常識など)を守る守らないを説明できるのかどうかは、実際にはわからないように思えるのです。

 そうはいっても例えば朝青龍は「最強」にこだわっているので、連敗したら引退するのではないか(最近は「優しくなった」などとあたかも地均しのように引退をにおわす報道までありました)、と今日などは観測記事がでていますね。

 これは朝青龍がそうだということではなく、一般論としてですが、もし会社人間である必要がない(会社で稼ぐ期待所得よりも会社外で稼ぐ期待所得が十分に大きいとき)ならば、その人にはすでに個々の行為で「会社の規律を守らない」という批判によって自らの市場価値をさげてしまう(会社だと閑職に追いやられスキルが低下するなど)よりも、すすんで早期に会社をやめることの方が合理的です。

 中島氏の説く朝青龍の金銭的インセンティブ重視説も踏まえて、今場所をみることはかなり興味深いように僕には思えます。

大相撲の経済学 (ちくま文庫)

大相撲の経済学 (ちくま文庫)