ブログのトップ画像を猫ちゃんにした記念掲載。以下の文章は、いまから10年近く前に、『ねこ倶楽部』という月刊誌で、なにを勘違いしたのかネコに無理やりひきつけての連載をもちました。全部で10回で終わったんだけどもその月刊誌も終わりました 爆。当時の原稿のまま修正せずに掲載します。文体がいまと異なりちょっと猫撫で声調ですがw 読者対象は経済学なんかまったく興味ない猫好きな主に女性ですw その意味ではこの試みが後の『最後の「冬ソナ」論』に直結していることはまちがいないでしょう。それがなんの意味があるのかやってる僕もまったくわかりません 笑。ちなみにアダム・スミスが猫好きであるかどうかは少なくとも実証的な証拠はないはずですw。
第1回 猫に値段がつくのはどうしてだろう?
「経済学」とか「経済」というとほとんどの人は何か難しいという印象を抱くでしょう。財政赤字とか金融ビックバンだとかテレビの報道でやっていても、そのほとんどのことが、直接自分の生活とは関係ないものという感想を多くの人は持っているのかもしれません。だけどあなたの可愛い猫のことを「経済学」で考えることができるといわれたらどんな気がしますか?*1 なにかにだまされているような気になるのかもしれません。けれども少し知的に猫のことを考えるのもいいものだ、とあなたは思わないでしょうか?*2
これからしばらくの間、あなたと猫の生活を「経済学」を通して考えていこうというのがこのコーナーの狙いです。そして意外にも「経済学」の眼を通して見たときに、猫のかかわるさまざまな事柄がよく理科愛できるようになるのです*3。たとえば、なぜ猫の食生活が多様化したのか、なぜ捨て猫が増えているのか、また血統書が必要とされるのはどうしてなのか、などなど経済学でこの疑問を解決することができるのです。これからしばらく「経済学」の不思議な世界にお付き合いください。
さて第一回の今回は、猫の値段についてです。もう少し詳しくいうならば、なぜペット・ショップで売られている猫には値段がついているのでしょうか?*4 それは商品だからだ、という答えがあるかもしれません。もちろん猫だけではなく、日常私たちがデパートや店頭などで目にする商品にはどれにも価格がついています。私たちは商品に値段あるいは価格がついていることをさも当然のこととしhて受け入れています。
しかし、経済学ではこの常識をもう一歩掘り下げて考えています。物に値段がついているのは、その商品が「稀少」(量が欲望に比して限られていること)だからです。実際に、ペットショップで売られている猫に値段がついているのは、その猫たちの数に限りがあるからなのです。もし私たちの周囲いたるところにアメリカン・ショートヘアーとかシャム猫がごろごろいたらそれは楽しい(?)ことかもしれませんが、ありふれたものとして誰も猫たちに価値を見出さなくなるでしょう。
実は人が物を買ったり売ったりするのは、その対象となる商品が希少性を持っているからなのです。この希少性という考え方は、経済学の基本的なものの見方で、経済学が別名「選択の科学」といわれるのも、この量にかぎりがあるものを対象にしているためなのです。無限に選べるものがあったなら、誰も何をどれだけ選ぶかということを問題にしないでしょう。
そう考えると、猫に血統書が存在しているのは、実はその猫が「希少性」を持っているという証明でもあり、いいかえればその猫のより大きい価値(より高い値段)を生み出すための巧妙な手段のひとつだということがおわかりでしょう。しかし重要なのは希少性の証明である血統書ではなく、あなたの猫に対する愛情であることはいうまでもありません*5
下の本はペンネームで書いた世界で三番目にでたベンガル猫の本。
- 作者: 田中秀和,田中秀喜,井川俊彦
- 出版社/メーカー: 誠文堂新光社
- 発売日: 1996/12
- メディア: 単行本
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*1:どんな気持ちもおきないってかw 2008年田中こころの詩
*2:なんじゃ、この文章w 2008年田中こころの叫びw
*3:w 2008年田中の不可解な笑み
*4:この回では詳しくふれなかったが第うん回目かに野良猫やもらい猫になぜ価格がついてないか、または価格がつけずらいかを説明した‥‥と思ふ
*5:逃げてるな、田中。いまなら愛情よりも血統書、と断言しかねないだろう。あるいは血統書よりも価格シグナルが基本で、血統書は情報の非対称性なんたらかんたら、おっとここらへんはこの連載でも書いたかな? 連載雑誌がどうもどこかに埋もれてて10回のうち三回しか見つからないのです‥‥2008年田中こころの詩