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ボツ版・経済論戦その1http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20080529#p2
2 構造問題主義
構造問題とは、政府の不適切な規制や政策の歪み、制度の欠陥などが原因となって、資源の効率的な利用をするインセンティヴが歪んでしまうことである。例えば税金を使って誰も利用しないような道路や箱物施設を無駄に建設していくような国や地方公共団体の活動などを想起すればわかりやすいだろう。いま労働・資本などの生産資源を完全に利用したならば実現される経済の大きさを「潜在GDP」と名付けよう。またこの潜在GDPの成長率を「潜在成長率」とする。国内の構造問題としては、公務員制度や独立行政法人改革、都市再生計画、公的金融機関の統廃合、財政支出の中味の見直しなどが含まれている。これらの構造問題を解決すれば、既存の生産資源を効率的に利用できるので、潜在成長率の上昇に貢献することになる。また経済のグローバル化をうけて、構造問題を生み出す政府の規制緩和や公共部門の非効率性そのものを改善すべきである、ということも言われている。そして構造問題の解決がうまくいかなかったがために、日本が隘路にはまり込んでしまっている(長期的に停滞している)、と考えている人たちが構造問題主義に立脚している人たちである。
この立場の典型は、「構造改革なくして景気回復なし」などのスローガンで著名だった小泉純一郎元首相であり、彼を支えた当時の竹中平蔵(現慶応義塾大学教授)経済財政特命大臣ら周辺のエコノミストたちである。小泉政権下で発行され、竹中平蔵氏が指揮した、当時の『経済財政白書』などには、彼らの構造問題主義が典型的に示されている。例えば『平成十三年度版 経済財政白書』を見てよう。そこでは企業の設備投資計画は、(経済全体で算出された)将来の潜在成長率に依存するという因果関係が提起されている。また期待潜在成長率が一%上昇すると、設備投資は二−四%上昇するという関係を導き出し、それゆえ期待潜在成長率の一%の上昇は、現実の経済成長率を〇.三%−〇.七%上昇させると書かれていた。
いいかえれば、期待成長率は自己実現的な性格(将来の予測がそのまま現実化する)をもつと考えていたようだ。期待成長率が高まれば設備投資や消費が拡大し、現実の経済成長率が押し上げられる。現実の経済成長率が高まれば期待成長率もあがるというわけである。この際に期待潜在成長率の上昇に寄与するのは、「構造改革」への政府への強い意思表示である。
さて構造問題主義では、日本経済が直面する「構造問題」のために高生産性産業に人的資源、物的資源がスムーズに移転できないために、将来性のある産業(例えばIT関連産業や福祉、介護サービス、金融業等)の育成が停滞している、と考えるのが定番である。このこと自体はおかしいことでは無論ない。この資源の移動がスムーズにいくために、「構造問題」をとりのぞいて新しい産業の創出・育成をはかるというものである。こういった資源配分がスムーズにいかない要因として構造問題主義が特に強調したのが、「不良債権による金融システム機能不全説」と「日本システム機能不全説」の2つの考え方である。これらの二つの見解については後の章で詳細に論じる予定であるが、ここで予め指摘しておきたいのは、この不良債権の存在や機能不全にある日本システムの存在を淘汰していき、より効率的な金融システムや日本システムに転換していく、ということに注目すれば後に概観する「清算主義」と結び付く考え方でもある。
図表1では構造問題主義の考え方が描かれている。構造問題主義では、90年代のある時点で、主にふたつの原因(不良債権による金融システム機能不全と日本システム機能不全の両方かいずれか)でデフレギャップが発生する。デフレギャップというのは、経済の現実の大きさがその潜在的GDP以下であり、その場合に物価水準をみればデフレーション(デフレ;継続的な物価の下落)になっていることをいう。そして構造改革へのコミットを力強く行うことでこのギャップを解消し、経済の潜在GDPに見合った経路に戻ろうというわけである。図表1ではC点から始まり、従来の潜在GDPのトレンド(D)に復帰し、さらに構造改革によって従来の潜在成長経路を上回るトレンド(E)にもっていくということである(図表1は省略)。
当時、小泉政権の近くにいた島田晴雄慶応大学教授による530万人の「雇用創造の構造改革」や、東京大学教授で経済財政諮問会議委員の吉川洋氏が主張していた需要創出の構造改革もこのCDEの径路を実現しようとするものである(島田晴雄・吉川洋『痛みの先に何があるのか―需要創出型の構造改革』(東洋経済新報社、2002年))。いうなれば「構造改革」の実現への期待によって、総需要(設備投資、消費の増加など)と総供給の増加という一挙両得が可能になると、竹中氏、島田・吉川氏らは考えたのであろう。
ところで構造問題の解決がうまくいっていない、と考える人たちにも極端には二類型存在していると先に指摘した。構造問題主義と対極をなす意見は、以下の慶応大学教授の金子勝教授らの次の発言に典型的なものである。
「一方、一九八九年におけるベルリンの壁の崩壊から九一年の旧ソ連の崩壊を契機にして、市場原理主義の暴走が始まった。実際、一九九〇年代は、グローバリゼーションを礼賛する論調で幕が開け、アメリカ・モデルは「グローバルスタンダード」として世界中に「強制」されていった。だが、金融自由化を中心とするグローバリゼーションは、世界中でたび重なるバブル経済とその破綻をもたらした。その結果、世界経済は同時デフレ傾向を強め、長期停滞局面に入りつつある。さらに、市場原理主義に基づく規制緩和と自由競争主義による経済政策は、絶えざる所得格差の拡大と将来不安を生み出している。だが、要素還元論(方法論的個人主義)の立場に立つ既存の経済学は無力に立ちつくすしかない」(金子勝・児玉龍彦『逆システム学―市場と生命のしくみを解き明かす』(岩波新書、2004年)4−5頁)。
金子勝教授は、90年代から反経済学の立場を採用している論客であり、今日でも重要なエコノミストだが、上記の引用には経済のグローバル化が、規制緩和や市場原理主義に基づく政策の普及として理解されていることがわかるだろう。そのため先の「構造問題主義者」たちの立場は、金子氏らの立場からは批判の対象になる。
そして金子氏に代表される立場の人たちは、構造問題を効率性向上によって解決することは、かえって所得格差や将来不安を招くので正しい処方箋とはいえない、と考えている。むしろそのような効率性を向上させる政策そのものが、日本では「構造問題」そのものとなっているというが彼らの本旨であろう。そのため彼らの正しい「構造問題」への政策対応は、グローバリズム進展そのものへの反対か(反グローバリズム)、その進展が避けられない場合はセーフティネットを構築して、構造変化から人々の生活を防御する、という手法となった(セーフティネットの経済学)。この「セーフティネットの経済学」としてどのような枠組みを考えるかは論者によっても様々である。金子氏らは、特に労働・土地・資本(あるいは貨幣・金融)といった本源的生産要素の取引に注目している。労働市場では社会保障制度や労働基準法、さらには近時ではニート対策、正規雇用者増加政策、またはネットカフェ難民支援などの貧困対策が重視されている。金融市場では、不良債権問題を監視する適切な行政ルールの設定、銀行の破綻などに備えたペイオフなどの預金者保護が求められていた。さらに土地市場では、金子氏らは、借地借家権保護や公営住宅・家賃補助などや都市計画などを推奨している(前掲、金子・児玉、69頁)。
金子氏らは、このような多様なセーフティネットが、多重なフィードバックを幾重にも形成する「制度の束」となり、個々の市場参加者と市場をつなぐ調節抑制のしくみになっていると説いている。また「制度の束」は国や社会によって様々なあり方をみせるであろう、とも彼らは述べている。
続く