経済学史学会大会報告集

 昨日、拝受。読んでみて特に興味を抱いたのは藤田菜々子氏のケインズとミュルダールの人口論、それに松野尾裕氏の賀川豊彦論。


 前者はケインズとミュルダールが人口減少による需要不足(このブログではそれはクルーグマン論文で馴染み深い構図)による経済停滞(失業、貧困)の出現にどう処方箋を書いたか、というもの。ケインズは投資の社会化という短期的なスパンの対策(クルーグマン的だがもちろん藤田氏の論説には金融政策への言及はない。それは今日の問題だから)、ミュルダールは消費の社会化(人間の出生率上昇に貢献するようなインセンティヴ改造をも意図したもの)や人的資本の生産性の向上など短期ー長期のスパンの問題として捉えた。ここらへんは本当に面白いと思う。クルーグマンでなくとももっと身近にいえば最近、このブログでもとり上げた上野泰也氏の『デフレは終わらない』における短期ー長期のデフレ可能性論と同じ視点。


 松野尾論文は、賀川の基督教信仰とその具体化としての協同組合構想や主観的経済論に絞ったもので、たぶんあまり広汎な関心を呼ばないと思うけれども実はいまの僕の興味にストレートに適合する。松野尾報告要旨では、人間の欲望や行動動機の中味まで経済学は関心をもっていない(だから賀川はユニーク)と書かれている。賀川はユニークだが、当ブログでも自己欺瞞論や「多様な私」などの関連エントリーをご覧いただければわかるように、最近の経済学は賀川的な問題関心と無縁ではまったくない。その一端はエインズリーの『誘惑される意志』なども参照されるべきであり、日本では拙論文「三木清と笠信太郎」にも書いたように、三木清親鸞の人間論研究にもつながる問題圏であろう。カルトとカルト的マインドコントロールの問題でさえすでに経済学者は研究会レベルにおいて言及している。そのとき経済学者の経済学へのコミットもいくばくか相対化されるであろう。


 なお人間の行動動機の変化(例えば会社人間から平等なコミュニティへの愛への転換)と組織論(協同組合論)との結び付きについては、僕はモンドラゴン論(拙著『日本型サラリーマンは復活する』)でとりあげた。


 ところで経済学者のこれまで唯一つの賀川豊彦論が、隅谷三喜男氏の『賀川豊彦』(岩波書店)だけだったというのが意外。もっとあるかと思ったんだけれども。